2025年3月20日木曜日

反戦意識のさらに先へ|平和の定義

私は戦争に強く反対する者である。しかし平和主義者かと問われれば「そうだ」と明確に答える自信はなく、むしろ「違う」と答えるだろう。
カントが言うように「平和とは一切の敵意が終わること」とするのであれば、平和の概念は深く考察すればするほど不明瞭なものとなり、国家や社会において平和を存在させることは不可能だと考えられるからだ。
故に私は平和主義者ではない。しかし反戦主義者であることは明言できる。その理由に論理は不要だ。ともかく反対せざるをえないほど私は戦争を嫌悪している。

もちろん、反戦の理由には議論の余地があることも承知している。
現在、他国に侵略する恐れのある国家があることも事実であるから、武装して備える必要性はあるといえる。
中には日本も核武装すべきだとの主張もあるが、その賛否や武装レベルについての考察はここでは無視することにする。また私は戦争を嫌悪しているので、好戦的な考えを持つ者の声もここでは無視することにしたい。

さて、他国からの侵略に備えて武装が必要であるという考えには、私もある程度賛同できる。そして武装が必要とする意見を述べる人の多くが好戦的ではないことも理解している。「戦争をしないで済むならそれにこしたことはない」という声を耳にしたこともあるし、安部元総理ですら、

70年前、私たち日本人は1つの誓いをしました。二度と戦争の惨禍は繰り返してはならない。この誓いの元で平和国家として日本は歩んできましたし、そして、これからはさらに地域や世界の平和のために貢献しなければいけないと思ってます。戦争をしたいなんか誰も思ってません(引用元:https://logmi.jp/main/social_economy/77567)

と語っていたことがある。
問題はこの先だ。「戦争をしたいとは思っていない」と言う人の同じ口から「出来ることなら武装強化はしたくない」という主張が出てこないことである。
武装強化はそのまま戦争の大きさに繋がってしまう。これを「相手があるから仕方ないことだ」とするのは好戦的な思考の持ち主であろう。
真に戦争をしたくないと思うのであれば、必要な防衛のレベルを見極め実践しつつ、軍事拡大を抑制する方針も同時に進行させなければならない。
軍事拡大ばかりを唱えるのであれば、好戦的であると見られても致し方ないだろう。

戦争は避けたいとしながらも軍事拡大を目論む理由として容易く想像できるのは、軍事利権である。私は陰謀論を好まないが、軍事産業を拡大するにも理由が必要であり、その後ろ盾になるのが近年採決されてきた「法案」なのではないかと疑いたくもなる。

いずれにせよ、平和に貢献するという意思があるのであれば、防衛とともに軍事拡大を抑制する手段も併せ持たねばならない。矛盾しているようにも聞こえるが、この両輪をそれぞれ明確に主張しなければ国際的に平和貢献の信は得られないであろうし、この両輪を考察し続けなければ、国家が暴走を始めるとき、引き止める術はないだろう。

最後に、冒頭でカントの「平和とは一切の敵意が終わること」を引用したが、私なりにこう言い換えることが出来る。
「平和とは、敵意のない状態を目指す手段の考察と実勢を継続することである」と。

戦争…イメージ画像