アーヴィング・ゴッフマンとハワード・S・ベッカー。どちらも同時代を生きた世界的な社会科学者である。それぞれの代表的な著作は、ゴッフマン『スティグマの社会学』、ベッカー『アウトサイダーズ:ラベリング理論再考』であり、どちらも1963年に刊行されていることも興味深い。
昨年、私はこの2冊をほぼ同時期に読了したのだが、スティグマとラベリング理論は、現代社会、とりわけインターネットにより普及したSNSによる分断と分裂の本質を理解する指針となると思えた。そこで、スティグマとラベリング理論の概要と両者の関連性、現代社会における重要性について考察してみたい。
1、 スティグマ
カナダの社会学者アーヴィング・ゴッフマンは、1963年の著作『スティグマの社会学』において「スティグマ」という概念を提唱した。ゴッフマンは自分が抱いている社会的アイデンティティとはずれた、他者から見た社会的アイデンティティとそれを引き起こす特徴をスティグマ(烙印)とした。そしてスティグマには「外見の特徴など身体的なもの」「精神疾患や生活困窮、犯罪など性格や行動によるもの」「民族や宗教など集団に属することで生じるもの」の3種類があるとしている。
さらにゴッフマンは「スティグマという言葉は、人の信頼をひどく失わせるような属性をいい表わすために用いられるが、本当に必要なのは明らかに、属性ではなくて関係を表現する言葉」1)であるとし、「スティグマのある者と常人の二つの集合に区別することができるような具体的な一組の人間を意味するものではなく、広く行われている二つの役割による社会過程を意味しているということ、あらゆる人が双方の役割をとって、少なくとも人生のいずれかの出会いにおいて、いずれかの局面において、この過程に参加しているということ」2)であるとしている。
つまりスティグマとは単なる属性ではなく関係性であり、烙印を押された者と「普通」であるとされる者との社会的相互作用の中で生じるとしたのである。
よって、初めからスティグマを持つ者は存在しない。スティグマ(烙印を押す行為)とは、ある社会における差別行為であると言えるのだが、社会が生みだしたものであるので正当化されることもある。
『スティグマの社会学』においてゴフマンが詳細に記述したのは、スティグマを持つ者と持たない者が対面した際に生じる「ぎこちなさ」である。
普通の人の反応は、 哀れみ、過度な配慮、あるいは忌避であり、これらは相手を「完全な人間」として扱っていない証左となる。
一方、スティグマを持つ者は、相手の反応を先読みし常に緊張を強いられる。自分の属性が会話の「ノイズ」になることを防ぐために過剰なエネルギーを消費することになる。ゴッフマンは、スティグマを持つ者は、自己の汚名(傷つけられたアイデンティティ)を管理するため、それを隠そうと(情報統制)するか、あえて開示(カミングアウト)するとしている。
強調すべきことは、ゴフマンはスティグマを持つ人々を「特殊な人々」として分析したのではない。むしろ、誰もが何らかの場面でスティグマを負いうる(普通の人も何かの拍子に逸脱者になりうる)ことを示し、社会秩序がいかに人々のアイデンティティを格付けし、管理しているかを解明しようとしたのである。
2、逸脱とラベリング
アメリカの社会学者ハワード・ベッカーは、1963年の著作『アウトサイダーズ』において「ラベリング理論」を体系化した。これは、逸脱行動がどのようにして社会的に構築されるかを説明する理論である。
ベッカーによると「社会集団は、これを犯せば逸脱となるというような規則をもうけ、それを特定の人びとに適用し、彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることによって、逸脱を生みだすのである。この観点からすれば、逸脱とは人間の行為の性質ではなくて、むしろ、他者によってこの規則と制裁とが「違反者」に適用された結果なのである」3)。他者がその行為を逸脱だと見なし「逸脱者」というラベル(レッテル)を貼り付けることによって初めて成立する。それがラベリング理論だ。
ベッカーは逸脱には3つ段階があるという。
- 第一次逸脱…この段階では行為者はラべリングされておらず、自己を逸脱者と認識していない。
- 公的なラベリング…警察、裁判所、学校、メディアなど(ルールを設定し違反者を告発する人々)が行為に「逸脱」のラベルを貼る。
- 第二次逸脱…ラベリングを受け入れ、その役割(逸脱者というアイデンティティ)に合わせて行動を続けるようになる状態。逸脱が自己概念の中核となり、逸脱的なライフスタイルが確立する。
さらにベッカーは逸脱には以下4つの類型があるとしている。
- 従順な者(同調行動)…ルールを守り、かつ周囲からも「善良な市民」として認識されている層。
- 正真正銘の逸脱者…ルールを破りかつ周囲からもその行為を捕捉され「逸脱者」としてラベリングされた者。典型的な犯罪者や、公に認められた非行少年などがこれに該当する。
- 不当に非難された者…ラベリング理論において非常に重要な類型である。本人はルールを遵守しているにもかかわらず、周囲の誤解、偏見、あるいは「道徳起業家」による攻撃などによって、不当に「逸脱者」のラベルを貼られてしまった者を指す。冤罪被害者や、ステレオタイプに基づいて「あいつならやりかねない」と白眼視される人々がこれにあたる。
- 隠れた逸脱者…ベッカーが最も興味深いとした類型の一つである。実際にはルールに違反する行為(薬物使用、不倫、不正行為など)を行っているが、周囲にはそれが露見しておらず、社会的には「従順な者」として通っている者を指す。ベッカーは世の中にはこの「隠れた逸脱者」が膨大に存在しており、「逸脱」とは行為の有無ではなく、あくまで「見つかってラベルを貼られるかどうか」という社会的なプロセスであることをこの類型によって強調している。
この4類型の最大のポイントは「客観的なルール違反」と「社会的なレッテル」は必ずしも一致しないことを示した点にある。特に現代のSNS社会に照らせば、事実確認が不十分なまま特定の個人が「炎上」し「不当に非難された者」が量産される一方、巧妙に立ち回る「秘められた逸脱者」が批判を免れるといった不均衡な力関係を分析する上で極めて有効な視点といえる。
3、関連性と比較
ゴッフマンのスティグマとベッカーのラベリング理論は、どちらも社会的な反応によってアイデンティティが構築され、その結果、個人が社会から排除されるプロセスを分析する社会学の系譜に位置づけられている。
ベッカーの「第二次逸脱」において、公的なラベリングが個人に「逸脱者」というアイデンティティ(スティグマ)を刻みつけ、その後の行動様式を規定する。この「逸脱者」というラベルこそが、ゴッフマンのいう「傷つけられたアイデンティティ」=スティグマを意味しているといえる。
ここまで見てくると非常によく似た論のように思えるが、両者は焦点が異なる。ラベリング理論は、スティグマが生じる「プロセス」、特に「逸脱者」というラベルが貼られる過程に焦点を当てている。一方ゴッフマンのスティグマ論は、ラベルが貼られた後の「結果」、つまりスティグマを持った個人が社会生活で経験する困難やそのアイデンティティ管理の方法に焦点を当てている。
一方で共通していることは、両理論ともスティグマやラベルを貼る側(社会の多数派、権力を持つ者)の視点と、貼られる側(少数派、弱者)の視点の非対称性を浮き彫りにしている点であろう。ルールや規範は中立的ではなく、特定の集団の利益や価値観を反映しており、それによってスティグマやラベルが生産されることを示唆しているのである。
以上のようなことから、両論を比較しながら読み進むと非常に興味深く、それぞれに対する理解も深まるように思う。そして感じるのは、どちらも「普通」という概念がいかに脆く、他者を貶めることでしか維持できないという残酷な真実が描かれているということである。
4、現代社会における重要性
現代社会、特にSNSなどのデジタル空間は、残酷な真実、ラベリングとスティグマの再生産を加速させる場となっている。個人の発言や過去の行動が瞬時に拡散され、集団的に「スティグマ」として付与されやすい環境が形成されているのだ。
例えば、失言や不適切とみなされる投稿は、当事者の人格全体を否定するラベルとして作用し社会的排除や炎上につながる。個人への誹謗中傷や炎上は現実社会での生活、時には生命にまで影響を及ぼしている。
また、特定の言動や意見に対し、即座に「〇〇信者」「非国民」「〇〇脳」「陰謀論者」といった単純化されたレッテル(ラベル)が貼られ「逸脱者」や「敵」として括られてしまうことが多くみられる。
特定の集団に「敵」というスティグマが付与されると、分断や分裂が強化される。ラベルは単なる記号ではなく、当事者の自己認識や行動を変容させ、結果として「逸脱の自己成就」を生み出す可能性がある。例えば、ある意見が「極端」とラベリングされることで、その発言者は主流社会から排除され、同調する者同士の閉じたコミュニティに吸収される。この過程はSNS上のエコーチェンバーやフィルターバブルの形成に直結している。ラベリングされた集団が、社会の期待する「逸脱者」の役割を演じ続けることで、社会の分断は固定化されていく。これはベッカーの「第二次逸脱」とよく似ている。
このような我々が直面している「分断」や「生きづらさ」は、テクノロジーの問題である以上に、他でもない我々が、互いにラベルを貼り合い、情報を管理し合うという相互作用のドラマを過剰に演じている結果であると言えないだろうか。
今、ゴッフマンやベッカーの理論を捉えなおすことは、ネット上の誹謗中傷や分断に対して、客観的に分析する知恵と立ち向かう勇気の糧となるであろう。そしてこの両理論を学ぶ機会が多いのは福祉を志す人々であろう。私は社会福祉の観点から声が上がることを期待したい。「最もスティグマの減少に有効な方法は、社会への統合である。宗教や人種、経済などの障壁は、異なる人々がともに働き、ともに遊び、ともに学び、ともに生活することを求められたとき、最も効果的に取り除くことができる」4)のだから。
(引用)
1)アーヴィング・ゴッフマン『スティグマの社会学』せりか書房 2001年改訂版 P16
2)同P231
3)ハワード S ベッカー『アウトサイダーズ』現代人分社 2019年POD版 P8
4)チャールズ・A・ラップ/リチャード・J・ゴスチャ『ストレングスモデル』金剛出版 2014年 P358
