2025年12月13日土曜日

現代社会におけるスティグマとラベリング

 アーヴィング・ゴッフマンとハワード・S・ベッカー。どちらも同時代を生きた世界的な社会科学者である。それぞれの代表的な著作は、ゴッフマン『スティグマの社会学』、ベッカー『アウトサイダーズ:ラベリング理論再考』であり、どちらも1963年に刊行されていることも興味深い。
 昨年、私はこの2冊をほぼ同時期に読了したのだが、スティグマとラベリング理論は、現代社会、とりわけインターネットにより普及したSNSによる分断と分裂の本質を理解する指針となると思えた。そこで、スティグマとラベリング理論の概要と両者の関連性、現代社会における重要性について考察してみたい。

1、 スティグマ 

 カナダの社会学者アーヴィング・ゴッフマンは、1963年の著作『スティグマの社会学』において「スティグマ」という概念を提唱した。ゴッフマンは自分が抱いている社会的アイデンティティとはずれた、他者から見た社会的アイデンティティとそれを引き起こす特徴をスティグマ(烙印)とした。そしてスティグマには「外見の特徴など身体的なもの」「精神疾患や生活困窮、犯罪など性格や行動によるもの」「民族や宗教など集団に属することで生じるもの」の3種類があるとしている。

 さらにゴッフマンは「スティグマという言葉は、人の信頼をひどく失わせるような属性をいい表わすために用いられるが、本当に必要なのは明らかに、属性ではなくて関係を表現する言葉」1)であるとし、「スティグマのある者と常人の二つの集合に区別することができるような具体的な一組の人間を意味するものではなく、広く行われている二つの役割による社会過程を意味しているということ、あらゆる人が双方の役割をとって、少なくとも人生のいずれかの出会いにおいて、いずれかの局面において、この過程に参加しているということ」2)であるとしている。
 つまりスティグマとは単なる属性ではなく関係性であり、烙印を押された者と「普通」であるとされる者との社会的相互作用の中で生じるとしたのである。よって、初めからスティグマを持つ者は存在しない。スティグマ(烙印を押す行為)とは、ある社会における差別行為であると言えるのだが、社会が生みだしたものであるので正当化されることもある。

 『スティグマの社会学』においてゴッフマンが詳細に記述したのは、スティグマを持つ者と持たない者が対面した際に生じる「ぎこちなさ」である。
 普通の人の反応は、 哀れみ、過度な配慮、あるいは忌避であり、これらは相手を「完全な人間」として扱っていない証左となる。
 一方、スティグマを持つ者は、相手の反応を先読みし常に緊張を強いられる。自分の属性が会話の「ノイズ」になることを防ぐために過剰なエネルギーを消費することになる。ゴッフマンは、スティグマを持つ者は、自己の汚名(傷つけられたアイデンティティ)を管理するため、それを隠そうと(情報統制)するか、あえて開示(カミングアウト)するとしている。

 強調すべきことは、ゴフマンはスティグマを持つ人々を「特殊な人々」として分析したのではない。むしろ、誰もが何らかの場面でスティグマを負いうる(普通の人も何かの拍子に逸脱者になりうる)ことを示し、社会秩序がいかに人々のアイデンティティを格付けし、管理しているかを解明しようとしたのである。

2、逸脱とラベリング

 アメリカの社会学者ハワード・ベッカーは、1963年の著作『アウトサイダーズ』において「ラベリング理論」を体系化した。これは、逸脱行動がどのようにして社会的に構築されるかを説明する理論である。
 ベッカーによると「社会集団は、これを犯せば逸脱となるというような規則をもうけ、それを特定の人びとに適用し、彼らにアウトサイダーのラベルを貼ることによって、逸脱を生みだすのである。この観点からすれば、逸脱とは人間の行為の性質ではなくて、むしろ、他者によってこの規則と制裁とが「違反者」に適用された結果なのである」3)。他者がその行為を逸脱だと見なし「逸脱者」というラベル(レッテル)を貼り付けることによって初めて成立する。それがラベリング理論だ。
 ベッカーは逸脱には3つ段階があるという。

  • 第一次逸脱…この段階では行為者はラべリングされておらず、自己を逸脱者と認識していない。
  • 公的なラベリング…警察、裁判所、学校、メディアなど(ルールを設定し違反者を告発する人々)が行為に「逸脱」のラベルを貼る。
  • 第二次逸脱…ラベリングを受け入れ、その役割(逸脱者というアイデンティティ)に合わせて行動を続けるようになる状態。逸脱が自己概念の中核となり、逸脱的なライフスタイルが確立する。

 さらにベッカーは逸脱には以下4つの類型があるとしている。

  1. 従順な者(同調行動)…ルールを守り、かつ周囲からも「善良な市民」として認識されている層。
  2. 正真正銘の逸脱者…ルールを破りかつ周囲からもその行為を捕捉され「逸脱者」としてラベリングされた者。典型的な犯罪者や、公に認められた非行少年などがこれに該当する。
  3. 不当に非難された者…ラベリング理論において非常に重要な類型である。本人はルールを遵守しているにもかかわらず、周囲の誤解、偏見、あるいは「道徳起業家」による攻撃などによって、不当に「逸脱者」のラベルを貼られてしまった者を指す。冤罪被害者や、ステレオタイプに基づいて「あいつならやりかねない」と白眼視される人々がこれにあたる。
  4. 隠れた逸脱者…ベッカーが最も興味深いとした類型の一つである。実際にはルールに違反する行為を行っているが、周囲にはそれが露見しておらず、社会的には「従順な者」として通っている者を指す。ベッカーは世の中にはこの「隠れた逸脱者」が膨大に存在しており、「逸脱」とは行為の有無ではなく、あくまで「見つかってラベルを貼られるかどうか」という社会的なプロセスであることをこの類型によって強調している。

 この4類型の最大のポイントは「客観的なルール違反」と「社会的なレッテル」は必ずしも一致しないことを示した点にある。特に現代のSNS社会に照らせば、事実確認が不十分なまま特定の個人が「炎上」し「不当に非難された者」が量産される一方、巧妙に立ち回る「秘められた逸脱者」が批判を免れるといった不均衡な力関係を分析する上で極めて有効な視点といえる。

3、関連性と比較

 ゴッフマンのスティグマとベッカーのラベリング理論は、どちらも社会的な反応によってアイデンティティが構築され、その結果、個人が社会から排除されるプロセスを分析する社会学の系譜に位置づけられている。
 ベッカーの「第二次逸脱」において、公的なラベリングが個人に「逸脱者」というアイデンティティ(スティグマ)を刻みつけ、その後の行動様式を規定する。この「逸脱者」というラベルこそが、ゴッフマンのいう「傷つけられたアイデンティティ」=スティグマを意味しているといえる。
 ここまで見てくると非常によく似た論のように思えるが、両者は焦点が異なる。ラベリング理論は、スティグマが生じる「プロセス」、特に「逸脱者」というラベルが貼られる過程に焦点を当てている。一方ゴッフマンのスティグマ論は、ラベルが貼られた後の「結果」、つまりスティグマを持った個人が社会生活で経験する困難やそのアイデンティティ管理の方法に焦点を当てている。
  一方で共通していることは、両理論ともスティグマやラベルを貼る側(社会の多数派、権力を持つ者)の視点と、貼られる側(少数派、弱者)の視点の非対称性を浮き彫りにしている点であろう。ルールや規範は中立的ではなく、特定の集団の利益や価値観を反映しており、それによってスティグマやラベルが生産されることを示唆しているのである。

 以上のようなことから、両論を比較しながら読み進むと非常に興味深く、それぞれに対する理解も深まるように思う。そして感じるのは、どちらも「普通」という概念がいかに脆く、他者を貶めることでしか維持できないという残酷な真実が描かれているということである。

4、現代社会における重要性

 現代社会、特にSNSなどのデジタル空間は、残酷な真実、ラベリングとスティグマの再生産を加速させる場となっている。個人の発言や過去の行動が瞬時に拡散され、集団的に「スティグマ」として付与されやすい環境が形成されているのだ。
 例えば、失言や不適切とみなされる投稿は、当事者の人格全体を否定するラベルとして作用し社会的排除や炎上につながる。個人への誹謗中傷や炎上は現実社会での生活、時には生命にまで影響を及ぼしている。
 また、特定の言動や意見に対し、即座に「〇〇信者」「非国民」「〇〇脳」「陰謀論者」といった単純化されたレッテル(ラベル)が貼られ「逸脱者」や「敵」として括られてしまうことが多くみられる。
 特定の集団に「敵」というスティグマが付与されると、分断や分裂が強化される。ラベルは単なる記号ではなく、当事者の自己認識や行動を変容させ、結果として「逸脱の自己成就」を生み出す可能性がある。例えば、ある意見が「極端」とラベリングされることで、その発言者は主流社会から排除され、同調する者同士の閉じたコミュニティに吸収される。この過程はSNS上のエコーチェンバーやフィルターバブルの形成に直結している。ラベリングされた集団が、社会の期待する「逸脱者」の役割を演じ続けることで、社会の分断は固定化されていく。これはベッカーの「第二次逸脱」とよく似ている。

 このような我々が直面している「分断」や「生きづらさ」は、テクノロジーの問題である以上に、他でもない我々が、互いにラベルを貼り合い、情報を管理し合うという相互作用のドラマを過剰に演じている結果であると言えないだろうか。
 今、ゴッフマンやベッカーの理論を捉えなおすことは、ネット上の誹謗中傷や分断に対して、客観的に分析する知恵と立ち向かう勇気の糧となるであろう。そしてこの両理論を学ぶ機会が多いのは福祉を志す人々であろう。私は社会福祉の観点から声が上がることを期待したい。「最もスティグマの減少に有効な方法は、社会への統合である。宗教や人種、経済などの障壁は、異なる人々がともに働き、ともに遊び、ともに学び、ともに生活することを求められたとき、最も効果的に取り除くことができる。(中略)個々人の場合と同様に、地域においても、真のストレングスを活用することで目標達成は高まる」4)のだから。

(引用)
1)アーヴィング・ゴッフマン『スティグマの社会学』せりか書房 2001年改訂版 P16
2)同P231
3)ハワード S ベッカー『アウトサイダーズ』現代人分社 2019年POD版 P8
4)チャールズ・A・ラップ/リチャード・J・ゴスチャ『ストレングスモデル』金剛出版 2014年 P358-359

2025年10月31日金曜日

フランコ・バザーリアの思想(狂気と自由)

 フランコ・バザーリア(1924-1980)の思想が、今こそ日本の精神医療に必要であると感じている。いや、「今こそ」というのは正確ではないだろう。「今もまだ必要」なのだ。それほど日本の精神医療、精神保健福祉は遅れていると言わざるを得ない。

 今年3月、私は精神保健福祉士資格を取得した。受験資格を得るため2023年から専門学校で指定科目を履修していたのだが、この時期、ある裁判の行方が気になっていた。精神疾患も認知症症状もないにもかかわらず37日間にわたり医療保護入院となり、向精神薬投与などにより心身に損害を受けた男性が宇都宮病院を相手に訴訟を起こしていたのである。事件について2022年7月2日の週刊金曜日の記事にはこうある。

強制入院である医療保護入院の措置を進めたのは同病院創始者の石川文之進医師(96歳)であった。
医療保護入院の決定を下すことが許されている精神保健指定医の資格がない石川氏に代わり決定をしたのは同病院の池田啓子医師だが、同氏は実質的な診察を行なわず石川氏の意思を追認。弁護団が証拠保全をした書類からは、江口さんの到着前の11時6分には精神科に入院とする記録が作成されていたことが明らかになっている。

そして今年5月、 宇都宮地裁は「違法に身体の自由を侵害した」として約300万円の支払いを命じた。

 宇都宮病院と言えば、1984年、看護職員の暴行により入院患者2名が死亡した事件があったことで知られている。世にいう「宇都宮病院事件」である。加害者の人数は不明、凶器は鉄パイプであった。驚くべきことに、宇都宮病院では1981~1984年の間、222名の患者が死亡している。この事件により日本の精神医療体制は国際的に非難されることになり、対策として1987年に精神衛生法が精神保健法に改正されたのである。ちなみに、引用した記事にある石川氏は1984年当時も病院長である。世間を震撼させる大きな事件があっても変わらぬ体制を維持し続けた宇都宮病院だ。訴訟内容のようなことは日常的に行われていたのではないかと疑いたくもなるし、その体制を容認し続けてきた行政にも呆れるばかりである。

 長くなったが、日本の精神医療において、過去と変わっていない現場が存在する例として宇都宮病院での事件を挙げた。事件の要因には、抑圧的なシステム、閉鎖的な環境が存在することは疑う余地もない。嘗てのイタリアにおいて、このような医療体制を根本的に変革した人物がバザーリアだ。その思想の核心は反施設主義と「自由こそ治療だ」という信念であり、その思想の根幹は精神障害者を「治療されるべき患者」としてではなく「社会で暮らす市民」としてその尊厳と権利を尊重すべきという立場であった。

 バザーリアは1961年にゴリツィア県立精神病院長に就任すると「自由こそ治療だ」を展開してゆく。拘束衣や白衣の廃止、開放病棟化の推進、医療者と患者がともに自治集会を開くなど、民主的な関係性の構築をすることで長期入院患者を大幅に減らし、患者の尊厳を回復させる試みを先駆的に行ったのである。その後トリエステ県立病院でも同様の取り組みを実践しつつ行政や世間への働きかけを続け、1980年イタリアで画期的な精神保健法(法180号)が成立する。バザーリアの功績から「バザーリア法」と呼ばれるものである。

 この法律では、精神病院の新規入院を禁止し、既存の精神病院を段階的に閉鎖・廃止することが定められている。その代わりとして、精神障害を持つ人々のケアを地域社会に基づいたサービス(地域精神保健センター、デイケア、住宅支援など)へと移行させることが義務付けられた。これによりイタリアは世界で初めて精神病院のない社会を目指すこととなり、実際に現在のイタリアでは従来の精神病院は廃止されているのである。

 バザーリアの活動については、書籍「精神病院はいらない!」(現代書館)に付録されているDVD、映画「むかしMattoの町があった」によく描かれているので、興味のある方は是非ご覧いただきたい。

「精神病院はいらない!」(現代書館)表紙

 私は日本もイタリアと同様に精神病院の廃止をすべきだと考えているわけではない。だが先述した宇都宮病院事件などから、バザーリアの思想が日本の精神医療に今も必要であると痛感しているのである。

 バザーリアは、「精神病とは、この病が発症している様々な社会的背景に根ざした狂気の表現方法である」①とし、「狂気は人間の条件の一つです。私たちのなかには狂気が存在しています。理性が存在するのと同じように、狂気も存在しています。文明社会というためには、社会が理性と同じく狂気も受け容れなければならない」②と語る。そして「自由こそ治療」であるとするのだが、バザーリアの言う自由とは「自分自身の制約を認識していること」③である。つまり治療の根本は、自分自身の制約を認識すること(障害の特性を自ら把握することとも言い換えられるであろう)であり、決して他者からの制約ではないのである。

 私は特に「狂気」を日本社会がどのように受け容れるかということについて、今一度バザーリアの思想に立返って医療と福祉の体制を再検証する必要性があると思う。その際、既に語られるようになって久しい「当事者主体」「権利擁護」の重要性を再認識することが必要となるだろう。福祉の現場にいる人の多くは「何をいまさら」と思われるだろうが、バザーリアの言葉を借りれば、宇都宮病院での例も人間の条件としての狂気と言えないだろうか。少なくともこうした事件が起こる可能性は今も確実に存在するのである。その事実を受けいれ、認識し、今以上に「当事者主体」と「権利擁護」が重要視される仕組みが必要であると考える次第である。

【引用】
①フランコ・バザーリア著『バザーリア講演録 自由こそ治療だ!』岩波書店 2017年 P213
②同 P54
③フランカ・オンザロ・バザーリア著『現実のユートピア』みすず書房 2019年 P121

2025年8月8日金曜日

ウィリアム・グラハム・サムナーについて

 今年私は精神保健福祉士を受験した。受験資格を得るには必要科目の修得が必須であり、その中に社会学がある。社会学のテキスト、そして試験対策用の書籍に、サムナーの名前を何度か見かけたのである。
 社会科学に関する書籍は学生の頃(30年ほど前)に随分読んでいたのだが、サムナーの著書は未読であった。和訳されているものは2冊のみだったし、どちらも既に古書でサムナーについて学ぼうとする者でない限り手を伸ばす本ではなかった。令和となった今ではさらに入手困難である。新訳されることもなかったことから、サムナーは注目されないままであったといえる。
 そのサムナーの名がテキストだけではなく、今年の国家試験に出てきた。多くの受験生は試験対策として過去問題集を活用し、選択肢すべての解説を読み記憶していく。今後数年間、受験生の多くはサムナーの名と、彼に関するキーワードを覚えることであろう。そう考えると、サムナーの名を登場させたことは試験作成者の意図があるように思えてならなかった。受験後、サムナーの著書「フォークウェイズ」を古書店で購入し読了。すると試験作成者の意図を私なりに想像することが出来たのである。そこで今回はサムナーについて述べてみることにする。

 社会科学の生みの親とされるのはフランスのコント(1798-1857)だ。カール・マルクスはコントよりも20歳年下であり、マルクスよりも2年遅れてイギリスでスペンサーが誕生している。このスペンサー誕生の20年後、ニュージャージーでサムナーは生まれている。マックス・ウェーバーよりも年長であることからも、サムナーがいかに古い人物であるかが分かる。当然、アメリカでは最も古い社会科学の大物であり、サムナーの社会学理論は代表的な著書『フォークウェイズ』で展開されている。

サムナー著「フォークウェイズ」書籍画像

 サムナーは、社会における人々の行動や習慣をフォークウェイズとモーレスという概念で説明している。
 サムナー自身の言葉を借りると、フォークウェイズとは「欲求を充足しようとする努力からおこってくる個人の習慣であり、社会の慣習」①であり、「欲求を満足させる方法であるゆえ、(中略)目的にたいする手段」②として、「フォークウェイズはそれらがその目的によく適合しているかどうかによって、快、不快を伴う」③ものである。
 そしてモーレスとは「社会生活の福祉に資する信念」④により「苦痛にみちているとはいえ、当を得ているものとされてきたことを行っている」⑤ことであり、「生活の福祉と関係したこの信念がフォークウェイズに加わるときに、それはモーレスにかわる」⑥のだとしている。サムナーはさらに詳しく「モーレスは、われわれがみんな無意識のうちに参加している社会的な儀礼である。労働時間、食事時間、家族生活、男女の社交、礼儀正しさ、娯楽、旅行、休日、教育、定期刊行物や図書館を利用すること、その他無数にある生活のささいなこと、といった現今の習慣はこの儀礼の下にある」⑦としている。
 フォークウェイズとモーレスはどちらも社会的習慣であるが、フォークウェイズは欲求充足の手段としての社会の慣習であり、モーレスはフォークウェイズの中から特に社会の存続や福利のために重要だと考えられている道徳を含む規範、規則であるといえる。

 サムナーの主張はフォークウェイズ、モーレスを基盤としたものであるのだが、現代の社会科学ではこの2つよりも「エスノセントリズム」(自民族中心主義)という言葉を見る機会が多いことだろう。
 エスノセントリズムとは「人々をして、かれらのフォークウェイズにおけるすべてのことを、それは特有のものであり、それが自らを他と異ならしめているのだ、と誇張し、強調する方向へと導くということ」⑧である。つまり、自分が属してきた社会や国家の文化を優れたものとし、他の文化を持つ民族や国家を低く評価する態度のことだ。
 サムナーはエスノセントリズムを集団内のフォークウェイズを強化するものとしており、決して悪者扱いをしているわけではない。エスノセントリズムは人間社会に普遍的にみられる自然な現象としているので、それ自体を否定することはできない。そこでサムナーは、自分たちの文化に同化しない他者を受け入れ、その価値を認め、異なる文化がそのまま共存する社会を理想としたのである。
 一方サムナーはエスノセントリズムの危険性についても指摘している。特に危険視したのがエスノセントリズムの極端な形態であるショーヴィニズム(盲目的愛国心)だ。ショーヴィニズムについてサムナーは「うぬぼれ高き、野蛮な、集団の自己主張にたいする呼び名である。それは個人の判断力や品性を威圧し、その時世を支配している徒党のなすがままに全集団をもってゆく。それは合いことばや空言の支配を生み、そしてそれが行為の決定にさいして、理性や良心にとって代わる。愛国的なゆがみは、思考や判断力のひとつの認められる悪用、曲解」⑨であると厳しく批判している。
 ショーヴィニズムは自集団に対する盲目的で排他的な愛着であり、他集団への攻撃性を伴う。それは「愛国心が悪へと墜落」⑩したものであり、ナショナリズム(国家主義)と結びつくことで戦争へ導く可能性があるとサムナーは考えたのである。

 「フォークウェイズ」を読み進むと、サムナーの社会学的な考え方、特にエスノセントリズムとショーヴィニズムに関する洞察は、現代の持続可能な開発目標(SDGs)と密接に関連していることが見えてくる。
 目標16は「平和と公正をすべての人に」である。エスノセントリズムは他集団への偏見や差別を生みだすものであるから、目標16と真っ向から対立する考え方である。戦争へ繋がる恐れのあるショーヴィニズムもまた同様である。さらに言えば「福祉」という言葉の意味とも対立するものであろう。社会福祉士・精神保健福祉士の共通科目にサムナーの名前が登場した理由はここにあるに違いない、と私は想像したのである。

 今年の参議院選挙では「愛国心が悪へと墜落した」ショーヴィニズムを正当化する政党が躍進した。昨今、SNSなどで増幅しているのは保守思想や愛国心ではなくショーヴィニズムだ。サムナーの「フォークウェイズ」は、今まさに注目されるべき古典であると言える。福祉を志す方が、一人でも多く、サムナーについて知り、理解を深めることを切に望み、拙い小論の終いとしたい。

【引用】
①ウィリアム・グラハム・サムナー『フォークウェイズ』青木書店 1975年 P4
②同P11
③同P47
④⑤⑥同P9
⑦同P80
⑧同P22
⑨同P26
⑩同P25

2025年6月1日日曜日

就職氷河期世代としての実感と今後の対策

 「世界」6月号の特集「老いる社会」、東京大学の近藤絢子氏のインタビュー記事を興味深く読んだ。
 近藤氏は97年の金融破綻の影響を免れた98年卒までを就職氷河期の前期、それ以降2004年卒までを後期と分けて区別しているという。そして近藤氏はこう発言する。『よく「就職氷河期の声」として、九〇年代に卒業した人たちの苦境が聞かれますが、実際に就職状況が一番悪かったのは二〇〇〇年前後卒の時期』①だと。
 確かにその通りであるのだが、私が気になるのは、なぜ90年代に卒業した人たちの苦境が多く聞かれるか、である。私は団塊ジュニア世代であり、近藤氏が言う就職氷河期の前期に該当する。そこで、自分自身と周囲の状況を振り返り、私なりの視点で考えてみたい。

 就職活動が厳しかったかどうかと問われれば、厳しかったと答える。なかなか決まらない者が多かったし、希望した企業に入社できる人は稀だった。
 私自身はどうだったかというと、入社試験や面接を受けたのが5社、内定は1社のみだった。これだけ見るとそれほど大変ではなかったように思えるが、受けるまでが大変だった記憶がある。資料請求をしても返ってこないことが多かったのだ。受けたのは5社であったが、資料請求をしたのは40社くらいだった。まだインターネットが普及していない時代である。資料請求はハガキで行い、そこに大学と学部名を記入する。応募してくる学生の数が多く、学校名である程度企業側も絞り込んでいるのだろうと推測したものである。

 これはいつの時代でも同じだと思うが、新卒で入社した会社が自分に合うとは限らない。特に就職氷河期であれば、業種や地域などで絞って数を打つしかない。全ての企業を出来るだけ調べるということはなかなか難しかった。私が内定をもらった企業にしても上層部や幹部社員のほとんどがある宗教団体に属していることが分かりすぐに辞めた。転職をし私が20代の大半を勤務した企業は、今でこそ東証一部上場企業であるが、当時は年商130億くらいだったので大企業ではなかった。しかし名前は知られていたので、周囲からは「大手」と言われることが多い会社だった。

 当時はWindows95が発売された頃だ。日本での発売は95年11月下旬なので、実際に普及し始めたのは96年からと言っても良いだろう。私のいた会社でも一人に一台、徐々にPCが普及し始めた。AS400など大型の端末はそれまでにも使っていたのだが、さらに各自のPCでデータを作成することが開始された。パソコンは若者に任せよう、そうした風潮が社内にあったが若者であっても初めてPCに触れる者が殆ど。私もそうだった。通常の業務の他にPCでのプログラム開発が業務としてあったわけだが、知識や技術を含めゼロからの仕事が大半であった。通常業務でさえ残業が必要な職場だったが、さらに残業を必要とした。現在の過労死ラインは月80時間以上の時間外労働だそうだが、20代の頃の私は過労死ラインより短かった月はなかった。

 残業代は「技能手当」というものに置き換えられていた。私のいた部署が物流と品質管理であり、「荷物が入ってくるまでの間、待っているだけの時間もあるだろう」ということを代表が説明したこともあった。手当は1万円くらいだったと記憶している。
 大手企業はきちんと残業代を支払っているところが多かったが、首都圏の企業でも中小企業はそうではないところが目立つ時代だった。取引先で交流のあった人たちの話でも、残業は多いが残業代は出ていない、という企業がいくつかあった。今にして思えばとんでもないことだが、当時はそれが普通だろうと思っていた。残業時間にしても「24時間働けますか?」というCMがあったくらいだ。24時間働くことはなくても、残業が多いことに対する不満はなかった。

 こんな働き方をしておれば、身体を壊す人が出てくる。私のいた企業でも年齢、性別を問わず、身体の内部か精神を病む職員が出始めた。
 せっせと残業してプログラムを開発することで仕事が便利になった分、新たな仕事が増えていく…PCの普及は仕事の効率を上げたがこなす仕事量、特に情報量、考えなければならないことが急激に増えた。携帯電話やメールが普及し始めたことも影響していた。今でこそ普通のことだが、働き方が急激に変化した時期だった。そこについていけない人から先に辞めていった。
 精神障害者手帳の制度が始まったのは平成7年からだったが、今のように心療内科を街に見かけることはなかったし、制度の認知度も低かった。「うつ病」などの病名ではなく「ノイローゼ」という言葉で済まされていたようにも思う。辞めた人の中には、社会復帰をするまでに数年を要する人もいたし、今も完全復帰できていない人もいる。
 20代後半、私の残業は月150時間を超えることが常態化していた。そしてある朝、起床した時に吐血した。同時期、お世話になった上司が、出張先でくも膜下出血で倒れ、そのままかえらぬ人となった。身体を壊す職員が続いていたこともあったので、みんな「働きすぎが原因だろう」と感じ始めていた。だけど、どこまでが自分の弱さで、どこから先が働きすぎなのか分からなかった。過労死防止対策推進法が施行されたのは2014年、まだまだ先のことであった。

 身体を壊した私も退職し、首都圏を離れ地方へと移り住んだ。地方での給与は低いが、定時に帰宅する生活が出来た。もっとも、地方ならではの遅れも存在しており、私が移住した頃はまだ、日曜日と祝日のみを休みとする企業も多かった。残業が多くしかも残業代が支払われていない企業もたくさん見てきた。

 同様のことは私の周囲にも起きていた。仕事がきついなどの理由で退職した人たちは、首都圏から地元に帰る者、首都圏で再就職する者など様々であったが、その頃は近藤氏の言う「就職氷河期の後期」とその数年後の期間にあたる。新卒の採用が厳しい世の中では中途採用はさらに厳しい。首都圏では派遣や契約で働く人が増えたし、地方に転職したとしても給与の低い仕事に就いた人が多くいた。
 しかしこれは、私を含め、最初はある程度の企業に勤めていた人の話である。大学や高校、専門学校から新卒採用が叶わず、職を転々とする人、アルバイトを続けた人、最初から派遣や契約で働き始めた人も同級生には結構いた。このような人の状況は私よりもっと悪い。働いてはいるけれども貧しい。人数の多い世代だけにワーキングプアの数も多い。近藤氏はいちばん子供の数が少ないのは団塊ジュニア世代だとしているが、こうしたことも理由なのだろうと私は思う。

 これですべて書き尽くしたとは言えないのだが、以上のような経験から、就職氷河期世代の苦境は、働き方に対する考え方の遅れ、社会保障制度の遅れ、PC導入によるデジタル化と情報量の急激な増加など、様々な要因による結果なのだろうと思うのである。

 そして1995年には既に少子化は始まっており、さらに深刻化することが予想されていたにも関わらず、一番人口の多い団塊ジュニア世代の収入について、30年もの間、政府は実効性のある対策を全くと言っていいほどしてこなかった。一番多い世代なのだから、収入をある程度安定させることが出来れば税収も安定する。そうしたら、今の子育て世代の境遇も違っていたはずだ。
 多くの政治家は選挙のたびに「子育て世代のために」だとか「お母さん目線で」だとかの言葉を並べたがる。子育て支援制度が始まって10年が経つが暮らしは楽になっただろうか?子育て世代への直接支援は耳にすると聞こえは良いが、周囲の世代を置き去りにしてしまうと社会は疲弊する一方ではないだろうか。
 例えば教育の無償化を掲げる政党があるが、これも解決に繋がるとは思えない。今の親世代の収入が高まらないと将来親になる人たちの出生率は上がらないだろう。また前述の通り、氷河期世代の人口が世代間では一番多いことを考えると、親より上の世代の収入も考慮しないと財源は増えないだろう。氷河期世代への就労支援ということも考えているようだが、私たちの年代がより良い給与を求めて再就職することもまた難しいだろう。

 稚拙ではあるが、考えられる対策としては、思い切って定年制を廃止し、同時に社会保障制度の見直しをすることである。今後、65歳以上に対する就労支援は「長く働き続ける」ことに重点を置き、65歳以上の雇用と継続雇用に対する補助の拡大をさらに行うこと。そしてそれは65歳以上の再分配を主な財源とすること。これを今から10年以内に確立させれば、就職氷河期が65歳になった時に間に合うはずである。また65歳以上でも障害者年金が確実に受け取れるように制度を見直すことも必要だろうと思う。高齢になっても働き続けるリスクに対する補償の拡充も急務ではないだろうか。

(引用)
①近藤絢子「インタビュー 就職氷河期世代の老後」岩波書店『世界』2025年6月号 P175

2025年4月18日金曜日

「無色」についての小考

  もう30年以上も前のことだ。
 大学から帰宅する途中、新宿線の車内で読んだアポリネールの詩集に「絵画はしょせん光の言葉にほかならない」という一節があったのである。
 「光の言葉」という一言が目に飛び込んできたときは衝撃的だった。光がなければ絵画は存在しないことになる。確かに光がなければ(少なくとも地球上の、或いは絵画が存在するであろう空間においては)色は存在しないのだから、アポリネールは正しいと思えた。
 では
「無色」とは一体何か?それまでの私は無色を漠然と白色というように捉えていた。しかし、色のない無色は光がない状態であるので、それは闇でしかない。闇を人の眼が捉え表現するとしたら「黒」となるはずだ。

 そこで私はこう考えた「真の無色とは黒ではないだろうか」と。
 そして一つの疑問が生じた。
 「では、無色透明とは何か?」

 透明という言葉は、水やガラスのように、向こう側が透けて見えるものに対して用いるのが普通であろう。「透明なガラスコップ」とあれば、誰もが普段使っている普通のあのコップを思い起こすに違いない。自然界と照らし合わせてみても、透明という言葉の意味と用法は、恐らくこれで間違ってはいまい。
 そうなると「無色透明」が厄介である。無色を黒としてみると、無色透明とはなかなか想像しにくいものとなってしまう。考え込むうちに思考の限界を感じたものだが、この「限界」という言葉がヒントとなった。
 つまり日本語の限界である。我々が無色透明としてしまっているものにも色はあるのだ。光の中に存在し、人の視覚に飛び込んでくる物体である以上、色はある。それを安易に「無色透明」としてしまったのではないか。
相応しい色の呼称が思いつかなかったのではないかと私は考えたのである。

 日本語の限界とは、日本人の想像力や感受性の限界であるとも言える。限界という表現が正しくないとすれば、考える必要のなかった表現であるとも言えるだろう。それは言語によっても異なるので、「木枯らし」のように日本語にはあって英語にはない表現というものはいくらでもある。逆もまたしかりであろう。もしかしたら、私の知らない言語では「無色透明」に明確な色彩名が存在するのかもしれない。
 日本の美学はこのようなことをテーマに研究するべきではないのか。そういえば、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」に「物にも命がある。問題は、その魂をどうやってゆさぶり起こすかだ」とあった。今こそ名前をつけるべきではないのだろうか。
 そのようなことを考えているうちに列車は終点の本八幡駅に着き、私は遅い帰宅をしたのだった。

 当時の私が間違っているとは思わないし、私は今も「無色とは黒である」と確信している。だが一方、30年たった今では「無色透明」という言葉の響きもまた、想像力の産物として十分な美しさを発しているのではないかと思うこともある。私のような人間にも、受容の精神がようやく芽生えたようである。



2025年3月20日木曜日

反戦意識のさらに先へ|平和の定義

 私は戦争に強く反対する者である。しかし平和主義者かと問われれば「そうだ」と明確に答える自信はなく、むしろ「違う」と答えるだろう。
 カントが言うように「平和とは一切の敵意が終わること」とするのであれば、平和の概念は深く考察すればするほど不明瞭なものとなり、国家や社会において平和を存在させることは不可能だと考えられるからだ。
 故に私は平和主義者ではない。しかし反戦主義者であることは明言できる。その理由に論理は不要だ。ともかく反対せざるをえないほど私は戦争を嫌悪している。

 もちろん、反戦の理由には議論の余地があることも承知している。
 現在、他国に侵略する恐れのある国家があることも事実であるから、武装して備える必要性はあるといえる。
 中には日本も核武装すべきだとの主張もあるが、その賛否や武装レベルについての考察はここでは無視することにする。また私は戦争を嫌悪しているので、好戦的な考えを持つ者の声もここでは無視することにしたい。

 さて、他国からの侵略に備えて武装が必要であるという考えには、私もある程度賛同できる。そして武装が必要とする意見を述べる人の多くが好戦的ではないことも理解している。「戦争をしないで済むならそれにこしたことはない」という声を耳にしたこともあるし、安部元総理ですら、

70年前、私たち日本人は1つの誓いをしました。二度と戦争の惨禍は繰り返してはならない。この誓いの元で平和国家として日本は歩んできましたし、そして、これからはさらに地域や世界の平和のために貢献しなければいけないと思ってます。戦争をしたいなんか誰も思ってません(引用元:https://logmi.jp/main/social_economy/77567)

と語っていたことがある。
 問題はこの先だ。「戦争をしたいとは思っていない」と語る同じ口から「出来ることなら武装強化はしたくない」という主張が出てこないことである。
 武装強化はそのまま戦争の大きさに繋がってしまう。これを「相手があるから仕方ないことだ」とするのは好戦的な思考の持ち主であろう。
 真に戦争をしたくないと思うのであれば、必要な防衛のレベルを見極め実践しつつ、軍事拡大を抑制する方針も同時に進行させなければならない。軍事拡大ばかりを唱えるのであれば、好戦的であると見られても致し方ないだろう。

 戦争は避けたいとしながらも軍事拡大を目論む理由として容易く想像できるのは、軍事利権である。私は陰謀論を好まないが、軍事産業を拡大するにも理由が必要であり、その後ろ盾になるのが近年採決されてきた「法案」なのではないかと疑いたくもなる。

 いずれにせよ、平和に貢献するという意思があるのであれば、防衛とともに軍事拡大を抑制する手段も併せ持たねばならない。矛盾しているようにも聞こえるが、この両輪をそれぞれ明確に主張しなければ国際的に平和貢献の信は得られないであろうし、この両輪を考察し続けなければ、国家が暴走を始めるとき、引き止める術はないだろう。

 最後に、冒頭でカントの「平和とは一切の敵意が終わること」を引用したが、私なりにこう言い換えることが出来る。
「平和とは、敵意のない状態を目指す手段の考察と実勢を継続することである」と。

戦争…イメージ画像