2024年3月23日土曜日

イギリスの貧困対策の歴史転換とナショナルミニマム

 本稿ではイギリスにおける貧困対策の歴史を整理し、貧困認識の転換とナショナルミニマムの意義について論じる。

 16世紀、宗教改革などにより貧民や浮浪者が増加し社会不安が高まる中、治安維持を目的としてエリザベス救貧法が1601年に成立する。貧民を無能貧民、有能貧民、扶養する者がいない児童に分け、有能貧民は懲治院に収容され労役場での強制労働が課せられた。1722年には労役場テスト法が制定され、貧困者が抑圧的に管理される状況が続いた。

 18世紀後期、1782年にギルバート法が制定。労働力のある貧民は居宅で仕事を与える院外救済が行われた。1795年、スピーナムランド制度が導入され、生活費の基準に達していない家庭に差額を支給した。これらは人道的な側面もあったが、労働意欲の低下(貧困の罠)や、納税者が貧困化するなどの問題が生じた。

 同時期、古典派経済学が隆盛を迎える。スミスは「国富論」で「神の見えざる手」による私利と公益の一致を説き、国政による市民生活への干渉は最小限にすべきとした。マルサスは「人口論」で、人口抑制が有効な貧困対策であると主張、貧困救済は人口増加に繋がるとして否定した。福祉の費用は削減され、救済水準全国統一、院外救済の全廃、劣等処遇の原則を特徴とする新救貧法が1834年に制定された。

 その後、政府による対応の不十分さを補うように慈善団体による活動が盛んになる。1869年に慈善組織協会が設立され、救済に値する貧困者と救済に値しない貧困者を区別し、前者のみに友愛訪問を行った。一方、デニソンが創始したセツルメント思想は、貧困は個人の問題ではなく社会の問題であり、政策によって解決できるとするものであった。セツルメント運動は1884年にトインビーホールが設立されたのをきっかけに広まっていく。

 19世紀末、貧困の原因や状況を客観的に分析しようとする動きがあった。ブースの調査、ラウントリーの調査が代表的である。ブースはロンドンで貧困調査を行い、貧困線や貧困地図を導入、市民の3割超が貧困線以下であることを示した。ラウントリーはヨーク市で調査を行い、栄養基準に基づいた貧困線を設定。第一次貧困と第二次貧困に分けて分析し、約3割の市民が貧困線以下、約1割が極貧状態にあることを示した。この2つの調査は、貧困は社会自体に原因があることを証明するもので、貧困認識の転換に大きな影響を与えた。

 20世紀初め、第一次大戦や世界恐慌により社会不安が高まる。これに対応し政府は社会保障制度の拡充を進め1911年に国民保険法が制定された。この法はウェッブ夫妻などの影響を受けたものである。彼らは1909年の「少数派報告」でナショナルミニマムという概念を主張する。ウェッブ夫妻は1897年の「産業民主制論」で、救貧法の解体と、国家が国民に対し、所得、教育、衛生、余暇など生活の最低限度(最低水準)を保障するというナショナルミニマムの概念を提唱している。

 1942年、第二次世界大戦中にベヴァリッジ報告が発表される。ベヴァリッジは、ナショナルミニマムの概念を提唱し、貧困、疾病、無知、不潔、怠惰という「5つの悪」に対抗するため、社会保険制度や公的扶助制度を整備することを勧告した。この報告書は大きな反響を呼び、戦後の労働党政権によって実現された。この報告書を契機に、各国で「ゆりかごから墓場まで」を保障する福祉制度が追求されるようになったのである。

 以上のように、イギリスの貧困対策の歴史は、貧困認識の転換の歴史であり、ナショナルミニマムには貧困者の尊厳と権利を保障するとともに、社会的包摂と経済的発展を促進するという意義があると言える。

[参考文献]
1)福田幸夫・長岩嘉文(編)『社会福祉の原理と政策』弘文堂 2021年
2)高島善哉(著)『アダム・スミス』岩波書店 1968年
3)長谷川貴彦(著)『イギリス現代史』岩波書店 2017年

イギリス現代史
4)厚生労働省."ナショナルミニマムに関する議論の参考資料". 第2回ナショナルミニマム研究会. 2009年12月16日 https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000000378g-img/2r985200000037cu.pdf.(2023年10月11日閲覧)

ワークライフ・バランスの重要性と労働保険制度

 現代の日本は少子高齢化の社会である。労働力減少と経済力低下が懸念されており、多様な人材による生産性の高い働き方が求められている。そうした中、内閣府は2007年、仕事と生活の調和憲章を定めた。2018年には働き方改革関連法案が成立し、ワークライフバランスの重要性は益々高まっている。そこで、その重要性と、関連性のある労働保険の特徴と役割について以下述べる。

 ワークライフバランスとは、仕事と生活の調和を図ることで、個人や家族、社会全体の幸福や経済的な発展を目指す考え方である。
 その利点と重要性は、個人にとっては、希望するバランスの実現により心身ともに健康であるとともに、子育てや介護など仕事以外の活動に時間を割くことができることが挙げられる。企業や組織にとっては、労働者の仕事への意欲や満足度が高まることで、人材の確保や育成、離職率低下への効果、生産性や競争力を向上させることが期待される。こうしたことから、ワークライフバランスの推進は経済社会の活力向上につながると言える。

 労働保険は社会保険制度の一つで、労働者災害補償保険(労災保険)と雇用保険を総称したものである。どちらも事業主や政府も含めた社会全体で労働者を支える仕組みであり、労働者が安心して働くことができる環境を整えることを目的としている。
 労災保険は、労働者が業務上や通勤中に負傷や病気になった場合や死亡した場合、被災労働者や遺族に医療費や補償金などの給付を行う制度である。業務上の場合を業務災害、通勤中の場合は通勤災害と呼ばれる。
 保険者は政府で、事務を行うのは都道府県労働局と労働基準監督署である。雇用形態を問わず労使関係にある労働者全員が適応対象である。また、個人事業の事業主も任意加入が出来る。
 保険料は全額事業主負担である。保険料率は業種ごとに過去の災害発生率等を考慮し定められ、保険料が滞納されていた場合でも労働者は給付を受けることが出来る。一方、労働者が故意に事故を生じさせた等、使用者に賠償責任がない場合、給付は行われない。
 給付の種類は、療育給付、休業給付、障害年金、障害一時金、遺族年金、遺族一時金、葬祭料、傷病年金、介護給付がある。業務災害の場合は、葬祭料を除き「補償」の2文字がそれぞれ名称の間に入る(例:介護給付⇒介護保障給付)。また、複数業務要因災害の場合では、それぞれの名称の前に「複数事業労働者」が入る。

 雇用保険は、労働者が失業や育児・介護休業などで収入が減少した場合や、教育訓練を受けた際、生活や雇用の安定と就職の促進を図るために失業手当や訓練給付などの給付を行う制度である。求職者給付、就職促進給付、雇用継続給付、教育訓練給付からなる失業等給付、2020年より失業等給付より独立して位置づけられた育児休業給付、事業主に助成金や補助金などを支給することで雇用の創出や継続を支援する雇用保険二事業(雇用安定事業と能力開発事業)がある。
 保険者は政府で、ハローワークが手続きを行う。
 保険料は労使折半であるが、雇用保険二事業は全額事業主の負担である。
 求職者給付の基本手当の受給資格者は、被保険者が失業した日以前の2年間に12か月以上の被保険者期間がある者である。求職者給付には他に、高齢者求職者給付、技能習得手当・寄宿手当、傷病手当がある。
 育児休業給付には、2022年10月、改正育児介護休業法が施工され、出生時育児休業が実施されることに伴い出生時育児休業給付金が新設され、育児と仕事の両立への貢献が期待されている。

おわりに
 上述のように、ワークライフバランスと労働保険は、それぞれ異なる目的と内容を持っているが、共通して労働者の福祉や雇用の安定を目指している。故に両者は一体的に推進する必要性がある。政府による制度の整備や改善は勿論、企業や個人においても積極的な参加が求められるのである。

[参考文献]

・阿部裕二・熊沢由美(編著)『社会保障』弘文堂 2023年
・平澤克彦・中村艶子(編著)『ワークライフ・インテグレーション』ミネルヴァ書房 2021年

ワークライフ・インテグレーション
・内閣府 男女共同参画局 仕事と生活の調和推進室. "「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」". https://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/pdf/charter.pdf
・内閣府 男女共同参画局 仕事と生活の調和推進室. "ワーク・ライフ・バランスの必要性について". 第1回「働き方を変える、日本を変える行動指針」(仮称)策定作業部会 2007年8月31日 https://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/top/change/k_1/pdf/s6.pdf.(2007年8月31日)
・内閣府 男女共同参画局 仕事と生活の調和推進室. "「ワーク・ライフ・バランス」の定義". 第2回「働き方を変える、日本を変える行動指針」(仮称)策定作業部会 2007年9月26日 https://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/top/change/k_2/pdf/sk1.pdf.(2007年9月26日)
・内閣府 男女共同参画局 仕事と生活の調和推進室. "ワーク・ライフ・バランス行動指針に盛り込むべき事項". 第3回「働き方を変える、日本を変える行動指針」(仮称)策定作業部会 2007年10月2日 https://wwwa.cao.go.jp/wlb/government/top/change/k_3/pdf/s2.pdf.(2007年10月2日)

地域福祉の理論

 英国で始まったコミュニティケア、米国で発展したコミュニティオーガニゼーションは日本の地域福祉の理論や政策に多大な影響を与えている。そこで英米の地域福祉の展開を述べた後、日本の地域福祉の代表的な学説について整理し、最後に意見を述べる。

・英米における展開
 地域福祉の起源として、英国の慈善組織協会(COS)とセツルメント運動が挙げられる。COSは1869年に設立され、貧困者に対して個別的な調査と援助を行うことで自立を促す考え方を持っており、後のソーシャルワーク形成に大きな影響を与えた。一方セツルメント運動は、貧困地域に住み住民と共に生活し、教育や文化活動を通じてコミュニティの向上を目指すという考え方である。これらの運動は地域福祉の基礎となるコミュニティワークの原型と言える。また1970年以前にコミュニティケアの発展に影響を与えた報告書としては、すべての国民に最低限度の生活を保障することが強調され、社会保障制度の基礎となったベヴァリッジ報告、コミュニティケアを地方自治体の社会サービス部が統合的に行うことを提言したシーボーム報告がある。
 米国の地域福祉もセツルメント活動が出発点であり、ケースワーク・グループワークという援助技法を開発、発展させてゆく。地域福祉に関する理論として、地域社会の問題を住民自身が参加し解決することを援助するコミュニティオーガニゼーションがあり、その概念は日本の地域福祉の概念形成に大きく影響している。

・日本の主な学説
 日本ではまず岡村重夫によって地域福祉の概念が形成された。岡村は1970年に「地域福祉研究」、1974年に「地域福祉論」を発表。地域福祉の構成要件をコミュニティケア、地域組織化、福祉組織化、予防的社会福祉に分類し、福祉組織活動の目的は福祉コミュニティづくりであるとした。
 右田紀久恵は、1973年に「現代の地域福祉」を発表。地域福祉の基本的な考え方として生活原則、権利原則、住民主体原則を提唱し、1993年には自治と自治制を構想した「自治型地域福祉の展開」を著した。
 1979年、全国社会福祉協議会発行の「在宅福祉サービスの戦略」では在宅福祉サービスという新たな概念が登場した。三浦文夫はこの中で、貨幣的ニーズに代わり非貨幣的ニーズが主要な課題となっていることを指摘する。同時期、永田幹夫は「地域福祉組織論」を発表。地域福祉の概念として在宅福祉サービス、環境改善サービス、組織活動を示した。
 主な学説は他に、ボランティアと福祉の思想を説いた阿部志郎、井岡勉の地域生活課題への社会的対策、大橋兼策の参加型・住民主体型地域福祉、川村匡由の地域福祉とソーシャルガバナンスなどが挙げられる。
 岡本栄一は「場-主体の地域福祉論」で、地域福祉論を4つの志向に整理できるとしている。上述した学説をその4の志向に整理すると、岡村と阿部は福祉コミュニティ志向であり、大橋は住民の主体形成志向、井岡と右田は政策・制度志向、永田と三浦は在宅福祉志向と整理することが出来る。
 なお川村の提唱する地域福祉とソーシャルガバナンスは、地域住民、行政、専門家などが多様な価値観や利害を調整しながら、共通の目標や規範を形成し協力して福祉サービスを提供する仕組みの中で住民の自立や参加や連帯が促進されるというものであり、4つの志向のミックス型であると言える。

・おわりに
 地域福祉は単なるサービス提供ではなく、住民参加や協働の過程が重要であるという点が長い歴史の中で一貫されている。筆者はこれに強く共感する。
 また地域福祉は、常に変化する社会状況に応じて柔軟に対応する必要があるということにも注意しなければならない。そのためには地域福祉の理論と向き合うこと、つまり原点に立ち返ることが必要であり、それはまた地域福祉の理念や価値観を問い直す機会を与えてくれるものと筆者は考えるものである。

[参考文献]
1)川村匡由(編著)『地域福祉と包括的支援体制』ミネルヴァ書房 2021年
2)稲葉一洋(著)『地域福祉の発展と構造』学文社 2016年
3)川村匡由(著)『地域福祉とソーシャルガバナンス』中央法規出版 2007年
4)大橋謙策(著)『地域福祉とは何か』中央法規出版 2022年

地域福祉とは何か
5)右田紀久恵(編著)『地域福祉総合化への道』ミネルヴァ書房 1995年
6)阿部志郎(著)『福祉の哲学 改訂版』誠信書房 2008年

障害者総合支援法の概略

 2022年、北海道江差町のグループホームで、知的障害のある入居者に対し不妊・避妊処置を求めていたことが問題になった。多様性やニーズにどう応えるかが今まさに問われている。また、障害者の人数は年々増加傾向にあり、障害者総合支援法が注目される機会も増した。そこで障害者総合支援法の概略と今日的な意義について以下述べる。

 障害者総合支援法は、障害のある人が日常生活や社会生活を営むために必要な支援を総合的に行うことを目的とした法律である。障害者自立支援法を改正する形で2013年に施行された。法律の対象者は身体障害者、知的障害者、発達障害者を含む精神障害者、障害児、難病患者の一部である。この法律で受けることができる障害福祉サービスは、自立支援給付と地域生活支援事業の2つが中心となる。
 自立支援給付には介護や就職のための訓練などがあり、以下のようなサービスがある。

①介護給付:居宅介護、重度訪問介護、同行援護、行動援護、重度障害者等包括支援、短期入所、療養介護、生活介護、施設入所支援など
②訓練等給付:自立訓練、就労移行支援、就労継続支援(A型、B型)、就労定着支援、自立生活援助、共同生活支援など
③相談支援:計画相談支援、地域移行支援、地域定着支援など
④自立支援医療:更生・育成医療、精神通院医療など
⑤補装具費:義肢・装具・車いすなど

 一方、地域生活支援事業は、障害のある人が身近な地域で生活していくための支援事業で、市町村地域生活支援事業、都道府県地域生活支援事業があり、それぞれに必須事業と任意事業がある。
 市町村地域生活支援事業の必須事業には、理解促進研修・啓発事業、相談支援事業、成年後見制度利用支援、意思疎通支援、日常生活用具給付等事業、移動支援、地域活動支援センター機能強化事業などがある。また、任意事業には、福祉ホームの運営、訪問入浴サービス、日中一時支援などの日常生活支援、社会参加支援、就業・就労支援などがある。
 都道府県地域生活支援の必須事業には、専門性の高い相談支援(発達障碍者支援センター運営、障害者就業・生活支援センターなど)、手話通訳者など専門性の高い意思疎通を行う者の養成研修、その派遣、派遣に係る市町村相互間の連絡調整、広域的な支援がある。任意事業にはサービス・相談支援・指導者育成があり、この中には、障害福祉サービス事業所に配置が必要なサービス管理責任者の研修などが含まれている。
 財源は、国がサービス費、自立支援医療費、補装具費などの50%を負担し、都道府県、市町村が25%ずつ負担することになる。地域生活支援事業については国が50%以内、都道府県が50%以内で補助することが出来る。
 障害福祉サービスの利用を希望する場合、原則として市町村による支給決定が必要である。利用に係る費用は市町村より9割相当が支給され、利用者は1割を負担する。負担額には定率負担・所得に応じて上限があり、市町村民税非課税の利用者は無料である。
 障害者総合支援法は、利用者の多様性やニーズの変化への対応、障害者差別解消法、障害者の権利に関する条約の影響、そしてサービスの透明性や質の向上を図ることから、3年ごとに見直し改正されることとなっている。

 以上の概要を述べ筆者は、この法律の意義は、障害のある人が自ら望む場所に居住し、自立した生活を送るために必要な支援を提供すること、社会参加や自己決定の機会が確保されることであると認識するものである。そしてそれは、障害の有無に関係なく地域社会で生きることそのものであると言えるであろう。

おわりに

 計画相談支援に従事する相談支援専門員が不足している。筆者の暮らす自治体も同様で、利用者のニーズに対応することが困難な状況にある。次年度、筆者は相談支援従事者研修を受講する予定であるが、研修制度を含め、抜本的な対策と解決が急務であると考える。

[参考文献]

・宮﨑まさ江、福津律(編)『精神保健福祉制度論』弘文堂 2023年
・デイリー法学選書編修委員会(編)『障害者総合支援法のしくみ』三省堂 2019年

障害者総合支援法のしくみ

・厚生労働省."第13回 地域で安心して暮らせる精神保健医療福祉体制の実現に向けた検討会 参考資料1". 2022年6月9日 https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/000940708.pdf. (2023年9月27日閲覧)
・厚生労働省."障害者白書". 令和5年版障害者白書.2023年6月 https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/r05hakusho/zenbun/index-pdf.html.(2023年10月1日閲覧)

災害支援におけるPSWの役割

 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、災害支援活動の大きな転換期となった。初めて保健医療福祉の専門家による支援が行われたのである。その中には精神科医や看護師、精神科ソーシャルワーカーも含まれ、行政機関等と共同でこころのケア活動が展開された。同時に課題も浮き彫りになり、2005年に災害派遣医療チーム(DMAT)が厚生労働省により発足する。東日本大震災ではさらに多くの課題が挙あげられ、災害派遣精神医療チーム(DPAT)が2013年に設立された。

 DPATとは、自然災害、列車・航空機事故等の集団災害の後、48時間以内に被災地に入り支援活動を行う精神医療チームのことである。都道府県及び指定都市により組織され、災害時は被災都道府県の要請を受け派遣される。その活動には、①自己完結型の活動、②積極的な情報共有、③名脇役であれ、の活動3原則がある。構成員は精神科医、看護師、業務調達員等で、PSWはDPATの業務調整員として派遣されることが多く、医療活動を行うための後方支援全般を担う。特にPSWは精神保健医療福祉の専門職であるから、被災者や支援者の心理的なケアや生活支援を行うことが可能である。

 PSWの具体的な活動として先ず挙げられるのは、精神疾患を持った方やその家族への対応である。災害時には、精神疾患を持った方やその家族がさらに不安や孤立を感じることがある。PSWはその方々のニーズや状況を把握し、適切な支援や情報提供を行える。

 また、医療機関や薬局と連携して、治療や服薬の継続を支援することも必要となる。PSWは、DPATの構成メンバーである精神科医師と看護師とともに日頃から意見を交わす関係にあるため、医療用語や略語等にも対応でき、DMATや他の保健医療チームとの連携においてその専門性を発揮することが出来るであろう。

 災害時、被災者の心理状態は主に衝動期、反動期、後外傷期、解決期の4段階があるとされ、各段階で被災者は様々なストレスを抱えている。PSWはその方々の心理的な負担を軽減するため、話し相手や相談窓口となる役割を担える。さらに避難所運営スタッフ等の健康状態にも配慮し違和感への気づきと助言が可能である。支援者支援はPSWの強みであると言える。

 災害時、医療支援のための情報を共有するためのインターネットベースのシステム、広域災害・救急医療情報システム(WDS)があり、DMAT、DPAT、災害派遣看護チーム(DNT)などの情報が登録されている。WDSにおけるPSWの役割は、DPATの活動を円滑に進めるための情報管理や連携に重点が置かれるだろう。例えば、PSWはWDSを利用して、DPATの活動に関する各種報告、他のDPATやDMAT、DNTとの情報交換や連携、調整などを行うことになると考えられる。

 上述してきたような、精神疾患を持った方とその家族への対応、被災によるストレスへの対応、他の支援関係者との連携は、DPATの業務調達員としてではなく、一人のPSWとしてボランティアに参加し行うことも可能であろう。PSWは災害支援において重要な役割を果たすことが出来るのである。しかし現状では、PSWの参画や活動が十分に認知されていない場合もある。そのため、PSWは自ら積極的に関わりを持ち、自分の専門性や貢献できることを周知する必要があるだろう。

おわりに

 支援者支援はPSWの強みであると述べた。これは過去の自らの体験が言わせたことでもある。筆者は東日本大震災の際にボランティアに参加したが、悲惨な光景は今も脳裏に残っている。被災者はもちろん、支援者もPTSDに注意する必要があることを常に考慮し参加していきたい。

[参考文献]

・一般社団法人日本ソーシャルワーク教育学校連盟(編)『ソーシャルワークの理論と方法[精神専門]』中央法規出版 2021年
・青木聖久 田中和彦(編著)『社会人のための精神保健福祉士』学文社 2020年
・厚生労働省."精神保健福祉士の災害時の対応における役割の明確化と支援体制に関する調査研究 報告書". 2021年3月 https://www.jamhsw.or.jp/ugoki/hokokusyo/202103saigai_shien/all.pdf (2023年9月17日閲覧)
・厚生労働省."災害派遣精神医療チーム(DPAT)活動要領" 2014年1月7日 https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/kokoro/ptsd/dpat_130410.html.(2023年9月17日閲覧)

社会人のための精神保健福祉士

統合失調症について

 統合失調症の歴史、原因、症状、治療法等について以下述べる。

 統合失調症は脳機能が障害され普段とは異なった思考や行動が現れてくる原因不明の疾患で、かつては精神分裂病と呼ばれていた。クレペリンが1899年に提唱した早発性痴呆を基礎に、1911年ブロイラーにより、精神活動の各要素間のつながりが失われているという意味で精神分裂病とつけられた。日本では精神分裂病という名称にマイナスのイメージを抱かせることから、2002年、統合失調症に変更された。名称が変更されたことで、患者の社会参加に良い影響を及ぼすことが期待されている。

 統合失調症の生涯有病率は0.7~0.8%。主に10代後半から20代前半に発症し、男女差はない。症状は幻想や妄想、思考障害、まとまりのない会話や行動などがみられる陽性症状と、感情の平板化、意欲低下、自閉などの陰性症状とに大別できる。主に急性期に現れるのが陽性症状であり、慢性期には主に陰性症状が現れる。発症前、不安や緊張、不眠、性格の変化、倦怠感などの前駆症状が現れるケースもある。
 また統合失調症の病型は、解体型、緊張型、妄想型の3つに分類されていたが、DSM-5、ICD-11では削除されている。

 原因として有力な説に、ドーパミンの過剰な分泌により神経細胞の活動が活発になることが原因だとするドーパミン過剰仮説がある。他に、胎児期から幼少期にかけて脳の発達に異常があることが原因であるとする神経発達障害仮説、脳の脆弱性と社会的ストレスによって発症するとする脆弱性-ストレスモデルがある。さらにGABAやグルタミン酸などの活動が弱まることで発症する説など他にも多くの仮説が存在する。最近では「スパインの密度や大きさが変わること」1)が原因だとする仮説も出てきた。これらの仮説はどれかが正しいというものではなく、恐らく複数の原因によって発症すると考えられている。

 統合失調症と診断するには、ある程度の期間、症状が持続していることが必要とされている。例えばICD-10では、症状の持続期間が1か月未満の場合は、急性統合失調症様精神病性障害との診断となる。
 またDSM-5では統合失調症にスペクトラムの考え方が導入され、診断は五つの中核症状(①妄想、②幻覚、③まとまりのない会話、④ひどくまとまりのないまたは緊張病性の行動、⑤陰性症状)の有無、強さ、持続期間によって行うとされている。
 統合失調症には上記のような操作的診断はあるが、生物学的検査所見で診断を行う術はない。症状もほかの疾患に見られるものが多いため、従来診断であるブロイラーの四つの基本症状や、シュナイダーが提案した一級症状は現在でも参考にされている。

 治療は、薬物療法、精神療法、家族支援、精神科リハビリテーションが基本で、中心となるのは薬物療法である。
 妄想や幻覚など陽性症状に効果がある定型抗精神病薬(従来型)が使用されてきたが、副作用の錐体外路症状が問題となっている。そこで最近は副作用が少なく陰性症状にも効果がみられる非定型抗精神病薬(新規)も使用されるようになった。
 家族支援は、感情表出など患者に対する家族対応の改善や理解増進を援助するものである。また、統合失調症では残存症状や後遺症により生活障害が残ることがある。再発することも珍しくはない。精神科リハビリテーションは生活障害を改善することを目標としており、家族支援とともに再発予防において非常に重要である。

おわりに

 筆者は日々の業務を通じて、統合失調症患者を支援する機会があるが、支援開始当初は、多くの人が自分の病状については語ろうとしない。後に理由を聞くと「信じてもらえないと思った」と答える人が殆どである。統合失調症に限ったことではないだろうが、支援は共感を持って接することが重要であることを、自戒の念を込め最後に述べておきたい。

[引用文献]

1)林(高木)朗子(著)『「心の病」の脳科学』講談社 2023年 P.30

[参考文献]

1)一般社団法人日本ソーシャルワーク教育学校連盟(編)『1精神医学と精神医療』中央法規出版 2021年
2)村井俊哉(著)『統合失調症』岩波書店 2019年
3)林(高木)朗子、加藤忠史(編)『「心の病」の脳科学』講談社 2023年

心の病」の脳科学

当事者主体の支援を行うための視点

はじめに

 ソーシャルワークのグローバル定義には「ソーシャルワークは、生活課題に取組みウェルビーイングを高めるよう人々や様々な構造に働きかける」1)とある。ウェルビーイングとは個人の幸福や満足のいく状態のことであり、構造には機関や地域社会、生活環境等が挙げられる。このウェルビーイングを高める支援では、当事者が主体となって課題に取組むことは勿論、家庭や地域社会への働きかけが必要となってくる。そして精神保健福祉士が当事者主体の支援を実現するためには、生活者の視点と権利擁護を重視すべきであると考える。

生活者の視点

 生活者の視点の重要性は、近年の医療モデルから生活モデルへの転換からも見ることが出来る。医療モデルでは支援の重点を障害の克服や健常者に近づけることが重視されてきた。当事者の抱える問題は当事者の中に見出せるという考え方である。一方生活モデルは、当事者を主体とした社会復帰を目指すものである。当事者が抱える障害を課題とするだけではなく、それに伴う生活のしづらさを作り出している社会や生活環境への働きかけを支援の基本としているのである。

権利擁護

 権利擁護には、当事者を権利の主体であると捉え、自己決定を保障し、当事者自身が生活するために本来持っている能力を発揮できるように引きだす支援が重要であり、支援者には、エンパワメント、ストレングス、リカバリーなどを理解し実践していくことが求められる。

 エンパワメントとは、当事者自身が自己決定し、問題解決能力、生活能力を身に着けていくことである。そして当事者の能力の可能性や強さを最大限に引きだすためには、当事者のストレングス(強み、長所)を見出すことが必要であり、支援者は当事者を長所や強みのある可能性に満ちた人であると捉え、協働的な関係において問題を解決していくこと、つまりストレングスの視点を持たねばならないのである。

 カンザス大学のラップ教授らは、ストレングスの要素として、当事者に備わっている能力、自信、希望などを個人のストレングス、家族や友人、社会関係などの地域資源を環境のストレングスとしており、ストレングス・モデルの基盤となる6原則を挙げている。「地域を資源のオアシスとしてとらえる」「クライエントこそが支援過程の監督者である」2)を含むこの6原則は、当事者主体の支援を実践するにあたり常に心に留め置くべき重要事項と言えるだろう。

 リカバリーは直訳すると回復という意味であるが、ここでは精神障害のある人が、それぞれ自分が求める生き方を主体的に追求することである。症状をなくすことではなく、夢や希望を持ち、意義ある満足のいく人生に立て直していくことであり、当事者自身が歩み、主役は常に当事者本人である。

 精神科リハビリテーションの研究者アンソニーは、リカバリーを「精神疾患の破局的な影響を乗り越えて、人生の新しい意味と目的をつくり出すことである。精神疾患からの回復は、病気そのものからの回復以上のものを含んでいる」3)としている。リカバリーは、一時点の状態ではなく、人生における新たな意味と目的を作り出すプロセスや過程であり、その内容やペースは十人十色で、まさに当事者自身の人生の旅路とも言える。精神保健福祉士が支援する際は、当事者の希望や選択に尊重し、信頼関係を築くことが重要である。当事者の権利や尊厳を守ることで、前述のエンパワメントを促すことに繋がるのである。

おわりに

 以上、生活者の視点と権利擁護を中心に述べたが、いずれも、当事者のチャレンジする気持ちが必要不可欠である。私が関わっているパラ・スポーツでもそうだが、いつも上手くいくとは限らない。立ち止まることや、来た道を戻ってやり直すことも挑戦だ。こうした選択肢があることを念頭に、精神保健福祉士は当事者と一緒に考えることが重要と言えるだろう。

[引用文献]

1)福島喜代子(著)、日本ソーシャルワーク教育学校連盟(編)『ソーシャルワークの基盤と専門職』中央法規出版 2021年 P.54
2)新・精神保健福祉士養成セミナー編集委員会(編)『精神保健福祉の原理』へるす出版 2023年 P.51
3)同上 P.171

[参考文献]

・新・精神保健福祉士養成セミナー編集委員会(編)『精神保健福祉の原理』へるす出版 2023年
・日本ソーシャルワーク教育学校連盟(編)『ソーシャルワークの基盤と専門職』中央法規出版 2021年
・野中 猛『心の病 回復への道』岩波書店 2012年

心の病 回復への道
・中西正司、上野千鶴子『当事者主権』岩波書店 2003年

2024年3月22日金曜日

寺山修司と五月の青森

何年か前、4月下旬から5月にかけて、青森へ行ってきました。
弘前の桜まつりを見ることなどいくつか目的があったのですが、その中に「桜が咲く頃の青森市を歩くこと」がありました。
青森出身の詩人、寺山修司の記憶を辿り、寺山にとっての「五月」と「青森の桜」を感じてみたかったのです。

私が好きな詩人、寺山修司は、昭和10年12月に弘前で生まれました。
幼少時の寺山は八戸、三沢など青森県内を転々としていますが、昭和23年に大叔父が経営する青森市の映画館に引き取られます。
この映画館のあった場所は青柳2丁目で、現在はモルトン迎賓館という結婚式場になっています。
その3年後、青森高校に入学した寺山は青森市松原に下宿します。
青柳と松原は歩いて行けるほどの距離です。
青森高校を卒業した後、寺山は上京しますから、青森で最も長い時間を、それも13歳から18歳の最も多感な時期を過ごしたのが青森市青柳と松原、つまり堤川沿いの地域となります。
そしてこの地域の地名が登場する詩に「懐かしのわが家」があります。
肝硬変で亡くなる前年の昭和57年に発表され、遺稿とされている作品です。
短い詩なので、全文を紹介します。

昭和十年十二月十日に
ぼくは不完全な死体として生まれ
何十年かかゝって
完全な死体となるのである
そのときが来たら
ぼくは思いあたるだろう
青森市浦町字橋本の
小さな陽あたりのいゝ家の庭で
外に向って育ちすぎた桜の木が
内部から成長をはじめるときが来たことを 
子供の頃、ぼくは
汽車の口真似が上手かった
ぼくは
世界の涯てが
自分自身の夢のなかにしかないことを
知っていたのだ

作中に出てくる浦町字橋本は、寺山が暮らしていた青柳と松原から近い場所です。
ただ、現在の浦町字橋本は公園の一部のみを指すようで、陽当りのいい家も、大きな桜も見当たりませんでした。
ですが、死期を悟っていたであろう寺山が、最後に思いあたるであろう光景は、青森市の桜だったことに間違いありません。

青森市内の桜

青森市の中心街、橋本に近い宿に滞在して、私は市街地を歩きました。
枝垂桜、ソメイヨシノなど、街ではあらゆる桜が一斉に咲いていました。
咲き方も見事で、同じソメイヨシノでも青森の桜は堂々と咲き誇っているように見えました。
大きな桜が多いのです。
それはまさに、「外に向かって育ちすぎた桜の木」そのものでした。

寺山修司は、5月を題材にした作品が多いことでも知られています。
5月の青森の桜を眺めながら、私は寺山にとっての「五月」を想像しました。
寺山の第一詩集「われに五月を」は、1957年に刊行されましたから、22歳よりも前に書かれたものであることは間違いありません。
この詩集に収めらている「五月の詩」にはこうあります。

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入口で
はにかみながら鳥たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した

12月生まれの寺山ですが、5月こそが彼の季節であったことがわかります。
「五月に誕生した」ならば、その場所はどこになるのだろうか?
寺山は、どこの5月を思い浮かべて、この詩を書いたのだろうか?
「二十才」のころ、寺山は早稲田大学に入学し東京で生活をしていたものの、ネフローゼで立川の病院に長期入院をしています。
「二十才」で入院したことを「誕生」とし、闘病中に執筆したのであれば東京である可能性は高く、私自身も自分が育った東京の5月を思い浮かべながらこの詩を読んできました。
しかし青森の桜を前にすると、青森市なのではないのかとも思えてくるのです。
20歳で書いたかもしれないけれど、思い浮かべていた5月は青森の風景だったのではないか。
一斉に咲き誇っていた青森の桜は、こどもの日を過ぎる頃、あっという間に葉桜になります。
「木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる」
既に新緑の5月の東京よりも、青森の風景の方があてはまるように思えてならないのでした。

ところで、「懐かしのわが家」の途中(「内部から成長をはじめるときが来たことを」の後)に、「五月の詩」の紹介した部分を続けると、あまり違和感なく読めてしまうのではないでしょうか?
昭和58年5月4日、青森では桜吹雪が舞う「五月」、寺山修司は47歳でこの世を去ります。
寺山にとって死は、自身の「季節の入り口」をくぐることに他ならなかった。
私はそう思いたいのです。

(追記)
青森市に滞在した後、私は弘前へ足を伸ばしました。
寺山が生まれた街です。
弘前城の桜は、昼も夜も見事なものでした。
これほど綺麗な桜を見たのは初めてです。 

弘前城の桜1

弘前城の桜2

弘前城の桜3

弘前城の桜4

2024年3月21日木曜日

LGBTに関する諸問題

 「LGBT理解増進法案」が一部修正され国会に提出された。修正案では、法案の基本理念にあった「性的指向および性自認を理由とする差別は許されない」という文言が「性同一性を理由とする不当な差別はあってはならない」と変更されている。ここに出てくる性自認と性同一性、そして差別という言葉を中心にLGBTの問題について考察したい。また筆者はパラ・スポーツ指導員でもあるので、スポーツの観点からも述べる。

・LGBTとは

 LBGTとはレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの総称であり、LGBは恋愛対象に関するもので、Tは性同一性に関するものである。総称で一括りにされているがLGBとTはまるで異なる。トランスジェンダーは性同一性障害という名称であったが、DSM-5では「性別違和」に病名は変わり、2022年のICD-11では新設された「性の健康に関する状態」の章に移動され、名称は「性別不合」となった。つまりLBGTは精神疾患ではなくなったのである。

・最大の課題は理解増進

 ここで注目したいのが性同一性障害者特例法の存在である。日本で性別を変更するには性別違和の診断が必要条件の一つとなっている。しかしICD-11では精神疾患ではないのだから、前述の修正案で性同一性とすることは、国際的な流れに逆行していると言える。それでも性同一性としたい理由は、性自認であれば自称で事足りてしまうことへの不安からであろう。皮肉にも、理解増進法案を提出する側の人々の間ですら、理解が進んでいないことが明るみになったと言える。そしてLGBTの最大の問題点は、理解が進んでいないことにあるのだろう。いずれにせよ、国内でも性別違和を疾患ではないとする方向性に舵をとるなら、性同一性障害者特例法は見直しの必要がある。

 LBGTの人々の中には、子供時代に自分が認識している性とは異なる服装を強いられることもあり、それが原因で不登校になる人がいる。いじめやいやがらせもある。成人となっても対人関係の支障は広く見られ、不安症や抑うつ障害になることもある。同性婚を希望しても日本では法的に認められておらず、パートナーシップ制度は地域によって異なる。LGBT理解増進法案の修正案は、差別は許されないという文言が「不当な差別」と変えられたことで、こうした様々な問題に対する解答を出しにくいものになるのではないかと筆者は危惧する。またこのような様々な問題は、理解増進と並行して、個別に検討していかねばならないと考える。その理由をスポーツ界から見てみよう。

 世界陸上競技連盟は今年、男性として思春期を過ごしたトランジェスター選手の女子種目参加を認めないことを決めた。これまでの規則では血中テストステロンの数値で出場可能であったが、より厳しいものとなった。当然、晩発性性別違和に該当する選手は出場することが出来ない。また世界陸連は、性分化疾患の選手についても、血中テストステロン値の上限の引き下げを決議している。国際水泳連盟の場合はさらに厳しい規定で、男性の思春期を少しでも経験した場合は出場することはできない。その理由は低年齢で五輪に出場するケースもあるからだと言える。

 水泳と陸上だけを取り上げたが、思春期以前の年齢で五輪代表となる種目もあれば、身体がぶつかる競技もある。それぞれの競技の特性上、個別に検討するしかないのが現状で、今後も異なる規定が競技ごとに採用されるであろう。勿論、大前提となるべきは差別を禁止することである。その上で、理解の増進と検討を継続しなければならない。それは一般社会でも同様であると考えられる。

・終わりに

 陸上競技ではスタートラインは皆一緒、つまり誰もが当事者だ。全員が当事者である以上、我々は複合的な解答を目指さねばならない。社会の複合的な解答を目指し継続すること、それはつまり、文化としての確立を目指すことなのだから。

[参考文献]

・一般社団法人日本ソーシャルワーク教育学校連盟(編)『2現代の精神保健の課題と支援』中央法規出版 2121年
・岡田桂 他著『スポーツとLGBTQ+』晃洋書房 2022年

スポーツとLGBTQ+


・BBC Sport, Katie Falkingham. "World Athletics bans transgender women from competing in female world ranking events" https://www.bbc.com/sport/athletics/65051900 (2023年3月23日)

・参議院常任委員会調査室、特別調査室 中西絵里 "LGBTの現状と課題". 参議院 立法と調査394号 https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2017pdf/20171109003.pdf(2017年11月9日) 

2024年3月20日水曜日

学習理論について

 学習とは「同じような経験を繰り返すことにより生ずる比較的永続的な行動の変容」1)のことであり、学習の基本的な様式である「条件づけ」には、古典的条件づけと、オペラント条件づけがある。

 パブロフの実験では、実験対象となった犬はベルが鳴るといった直接的には関係のない刺激によって条件づけられると餌が眼前にない状態でも唾液を流すようになった。これが古典的条件づけであり、無条件刺激(餌がある状況)に対して無条件反応(唾液を流す)のと同様に、条件刺激(ベルの音)に対しても同じ条件反応が生じるという学習様式である。

 このパブロフの犬の実験を人間に適用できることを証明しようとしたものに、ワトソンが行ったリトルアルバート実験がある。9か月の乳児リトルアルバートを実験対象としたもので、アルバートが白いネズミを見たら大きな音を与え続けた。するとアルバートは白いネズミやそれに似たものを見ても恐怖を示すようになった。この現象は恐怖条件づけとも呼ばれるものである。

 これに対してスキナーは、スキナーの箱と呼ばれる装置を使った研究でオペランド行動(オペラント条件づけ)を発見した。スキナーの箱の中にはレバーがあり、ブザーが鳴った時にレバーを押すと餌が出てくる仕組みとなっている。その箱に空腹のネズミをいれ、ネズミが偶然レバーを押すと餌が出てくる。試行錯誤を繰り返すうち、ネズミはレバーを押すと餌が出てくることを学習した。この学習をスキナーはオペラント条件付け(道具的条件づけ)とした。この研究は先行事象(ブザーが鳴る)、行動(レバーを押す)、後続事象(餌が出てくる)という三項随伴性に着目して行われたものである。

 さらにその研究では、行動は4つのパターンに分類されるとした。ある行動をした結果何かが生じたり増えたりすることでその行動の生起頻度が上がることを正の強化、行動の結果何かがなくなる或いは減少することでその行動の生起頻度が上がることを負の強化とされ、生起頻度が下がる場合をそれぞれ、正の弱化、負の弱化とされた。強化や弱化は、反応と結果との関係(行動随伴性)を表すものである。

 スキナーよりも前、問題解決の場面において失敗を繰り返すうちに解決が生じると考えたのがソーンダイクであり、問題箱と呼ばれる装置を使った実験を行った。問題箱の外に餌を置き、箱の中に猫などの動物をいれる。動物は試行錯誤の中で最初は偶然外に出られるが、この経験を繰り返すことで外に出る術を学習し箱から出るまでの時間が短くなるというものである。ソーンダイクはこの実験の結果試行錯誤学習を提唱。また試行錯誤の結果が好ましくない場合は、その状況との結びつきを弱めるという効果の法則を提唱している。

 これに対しケーラーは、課題状況全体に対する目標と手段関係の洞察や、解決への見通しなど内的な思考過程を経て問題解決を見出しているとする洞察学習を提唱した。よく知られた研究にサルによる実験がある。棒や箱など、道具を使わなければバナナをとることが出来ない状況で、サルが状況を把握し洞察することで適切な行動をとっていることを観察したものである。

 バンデューラによって提唱された社会的学習は、観察学習、またはモデリングとも呼ばれるもので、試行錯誤のように経験して得るものではなく、他者の行動を観察、模倣することでその行動を獲得する学習様式である。観察した行動の結果次第では、自身の行動頻度が変化することは代理強化と言われる。

・終わりに

 筆者はボランティアでパラスポーツ指導を行っている。ここまで述べてきたことを重ねてみると、パラスポーツの現場は、洞察、観察、模倣、そして試行錯誤の繰り返しであることに気づかされる。どれかが欠けても上達(学習)は見込めず、学習とは、まさにこの連続であるのだと実感するものである。

[引用文献]

1)福祉教育カレッジ(編)『社会福祉用語辞典第2版』エムスリーエデュケーション 2017年 P.63

[参考文献]

・福祉臨床シリーズ編集委員会(編)『心理学と心理的支援』弘文堂 2022年
・ジョエル・レビー著『心理学の基礎講座』ニュートンプレス 2020年

心理学の基礎講座
・杉山尚子著『行動分析学入門』集英社 2005年

河津聖恵さんの「夏の花」

 何年か前の沖縄が梅雨入りした頃のことです。10㎞走って帰宅するとかつての職場から1冊の詩集が届いていました。
 河津聖恵さんの「夏の花」です。

夏の花

 読み始めると、福島、広島、そして沖縄…これほどまでに向き合い続けている詩人が今他にいるだろうかと思わされます。

 原発の根元に咲いた花を河津さんは詩います。

一輪の花がいまひらきはじめる
なおも咲くのか
なぜ咲くか
無数の黒い穴は問いもだえる
死ぬことも生きることも滅んだのに
宇宙の一点をいま花の気配が叛乱する
「月下美人(一)」より

 そして沖縄で書かれた作品にたどり着くころには、大変な詩集を手にしたものだと恐縮しながら読むことになります。「大変な」とは、沖縄という地で平和と対峙すること。杖で足元を確認するように、平和とは何かを検証すること。創作においてこれほど苦しく辛い作業はありません。
 詩は思考の向こう側にあります。
 沖縄の現実を直視し平和とは何かを検証することは、思考の段階で既に困難を極めるのです。他でもない私自身がとてつもなく苦しんだ、そして今も格闘している作業です。
 河津さんは4編の詩を、思考の向こう側に辿り着かせています。

花明かりはほろびない どんな闇にも 花は花の魂を奪わせないと

 河津さんが来沖された時、少しだけ沖縄をご案内したことがあります。地中の骨について語り、地中の骨の上を歩きました。あの時の感覚が、作品を読むと蘇ってきます。
 乱開発が繰り返される沖縄で、私はまだ、かろうじて走り続けています。
 花の輝きと地中の骨の声は、まだ私に届いている。「夏の花」が、大切なことを確認させてくれたのです。

三角みづ紀さん|旅をする詩人

 旅はこころのありようを問うもの、と幸田文は書いています。「旅」と「走」はとても似ています。一人旅が苦手な人は、恐らく一人で走るのも苦手です。トレーニングも幾人かで行わないと面白くない、と考える人が多いようです。一人旅が好きな人は、一人で走ることを好むようにも思います。一人は孤独です。でも独りでいられる人でないと、こころのありようを問うことは出来ないでしょう。本物の走者、本物の旅人は、きっと独りです。独りで想い、独りで動く。独りを確立させることが出来て初めて、他者と関わることも出来るのではないでしょうか。

 さて、私が今を生きる詩人で最も好きな人を挙げると、三角みづ紀さんの名前が出てきます。三角さんは、旅をする詩人です。
三角さんからの手紙
 旅先からたくさん絵葉書を送ってくださって、それが私の宝物になっています。
今の日本を代表する詩人と言っても良いのではないかと思います。
 その三角さんの詩集に「隣人のいない部屋」があります。スロヴェニア、イタリア、ドイツを旅した際に執筆された作品で構成されていて、独りで旅する思考が凝縮されています。
 例えばランニングであれば、記録の為に走る、という意識が強くなってしまうと、走ることそのものを楽しむことが出来なくなることがあります。
 旅も同じです。
移動をつづける
町から町へ、町から島へ
そうやって徐々に
目的だけになって
する ことを
する ために
風景がしんで黒い額縁に飾る
ひどく疲れているのかもしれない
もうすぐサンタルチア駅だ 
(詩集「隣人のいない部屋」より)
 「風景がしんで黒い額縁に飾る」…これをランニングに置き換えると、走ることは痛苦でしかないように思えてきます。目的を見失うのとは違います。明確過ぎる目的が、精神を細く削ります。
 「何のために走っているの?」
現役の頃からよく耳にする質問です。20歳の頃は答えられませんでした。旅することも、走ることも、「こころのありようを問うもの」であるならば、この質問は「こころのありようを問うてどうするのか?」と言い換えることが出来ます。
 何故こころのありようを問うのか?
 自分を見つめてどうするのか?
 私は走ります。
 少しですが私も文章を書きます。
 走ることを思考に、書くことを速度に。
 生きることを、人生を肯定するために。
 私の人生は自分で肯定するくらいの価値はあるはずだと。
静脈にのって
輪郭をそこないつつあるが
とめどなく進む
青の洞窟を抜けて
わたしたちは愚かだが
生きる価値くらいはある
(詩集「隣人のいない部屋」より)
 人生はマラソンではありません。旅でも詩でもありません。でもマラソンや旅、或いは詩を書くことは、人生を肯定する手段になるはずです。
 三角さんは、日常のすべてを詩にすることで、生きることを肯定している詩人なのだろうと思います。だからこそ私は三角さんの作品から、「私たちは生きている」という強いメッセージを感じます。

水上勉さんの文章道

 私の人生には、師と呼べるひとが幾人かいます。作家の水上勉さんは、その中でも最も大きな存在の方でした。20歳の頃からお話させていただくようになりました。いつだったか、私の書いた論文に軽く目を通し「あなたの書く文章は詩になるかも知れないね」と言ってくださったことが、私の人生を変えてしまったのかも知れません。
あれから30年近くの月日が流れました。

 私の書棚には、水上勉さんの著作「虚竹の笛」があります。
虚竹の笛
沖縄に移住しようとしていた頃に戴いた本で、水上さんの署名の入った、私にはもったいない一冊です。本書は第二回親鸞賞を受賞した作品ですが、この本について語った水上さんの言葉が今も忘れられません。
「文章道を行くのであれば、私は先輩たちの名作から学び、文章道にもとらないようにしたいものだと思います。『虚竹の笛』は、そういうことを書いておきたい本です。借り物の言葉を言ってすましているのは愚かです。この本には借りた言葉はないでしょう」
 水上さんが他人の文章について語ることは殆どありません。過去の偉大な作家の作品の素晴らしさを語ることはあっても、水上さんの批判というものを私は聞いたことがないのです。
 この頃、晩年の水上さんは、一語一語ゆっくりと、息をとぎれさせながら語っていました。丁寧に言葉を選びつつ語るので、話す言葉に隙が見つからないほどです。そこへ「借り物の言葉を言ってすましているのは愚かです」と言われたものだから、こちらは緊張します。自分自身を振り返ると、好きな作家や思想家の言葉と文体を、知らず知らずの内に拝借してしまうことが少なくありません。
 水上さんの言葉は、現在の小説家の文体にもあてはまります。例えば、著者や作品名をまったく見えない状態にして、過去の作家の本を読んでみると、井伏鱒二、井上靖、太宰治、志賀直哉、永井荷風など挙げればきりがありませんが、文体そのものが各々完全に異なります。
 しかし現在の小説家は、実名を挙げることは控えますが、他人の小説を「これは私が書きました」といってみても全く違和感のないほど似通ったものが溢れています。

 そして水上さんが語ることは、走ることにも通じるものがあります。私の陸上の師は、誰かの後ろについて走ることを嫌いました。「自分の速度で走っていない」と言うのです。
1500mで、私が先頭を走る選手の真後ろについてラスト150mで追い抜いてゴールした直後には、「よく勝ったと思う。でもお前は他人の速度で走って、それで満足なのか?」と言われました。「自分自身を把握すること、そして自分の速度を貫くことが大切だ」と言われ続けて私は走りました。
 水上さんに「借り物の言葉を言ってすましているのは愚かです」と言われ、極度に緊張した理由には、走っていたころの記憶が蘇ってきたこともありました。

 さて「虚竹の笛」には、日本人留学僧と中国の女性との間に生まれ、日本に尺八を伝えたとされる禅僧を軸に、小説とエッセーを交えて、日本と中国との文化交流が描かれています。
「尺八の音を聴くと、禅宗の無の思想が伝わるように思えてならないのです。あの笛は何故なるのでしょうか。そう思います」
「人間には二通りある。無為の真人の修行の道と、それと無縁の道が、あるように思えます。笛を吹くことの出来る人間は前者に該当します。谷間の竹が、風の音を聴いて育ち、笛になるのです」
 笛を吹くことの出来る人は、笛に共鳴するものを持っているということなのでしょう。
勿論それが禅宗であるとは限りませんが、尺八の響きは計り知れないものがあると水上さんは語っていました。
 禅とランニングとを関連付ける発想は海外でも散見されていますが、走ることも自然との共鳴であるように思います。
 「走」という動作を通じて、重力や風、気温など、自分自身を取り巻く自然環境と共鳴することが出来る人、その人こそまさしく走者であると言えるのではないでしょうか。
そして水上さんの語る「無為の真人の修行の道」は、独り長い道程を、旅をするかのように走っていると、おぼろげながら見えてくるように思えるのです。

安谷屋正義『滑走路』

 初めて安谷屋正義の絵画作品を見たのは、佐喜眞美術館に展示されていた「白い基地」でした。安谷屋正義という画家について、全く予備知識がないまま絵と対峙し、私は「白い基地」に吸い込まれました。館長の佐喜眞さんに絵について伺おうとしたのですが、忙しそうで何も聞けなかったことを覚えています。そして安谷屋正義という画家の名と「白い基地」だけが、私の脳裏に深く刻み込まれました。

 次に安谷屋正義と出会ったのは沖縄県立美術館で開催されていた「ニシムイ展」です。ニシムイとはニシムイ美術村のことで、那覇市首里に西森(ニシムイ)と呼ばれた地域があって、そこに東京美術学校(現東京芸術大学)出身等の画家たちが集った生活協同地域のこと。

 ニシムイ展で、安谷屋正義の展示場に入ると、真っ先に「滑走路」が視覚に飛び込んできました。正確には、飛び込んで来たのは「線」です。1963年に描かれた「滑走路」は、そのサイズが909×2180と安谷屋の作品の中でも大作であり、米軍基地の滑走路と米軍機とが、鋭い線を主体に描かれています。画と対峙した瞬間に私は、キャンパスから線が飛び出し、私の網膜に刺さり後頭部へ突き抜けたような感覚に陥りました。そして視線を上げ再び絵を直視すると、線が眼に痛い。

「滑走路」

 この線は、鼓膜に突き刺さるような米軍機の甲高いジェットエンジン音、そして脳天から叩き潰されるような爆音であるように思えました。恐らく安谷屋は、滑走路を描き上げるまでに、幾度となく軍用機のエンジン音を耳にしたはずで、彼はキャンバスに風景だけでなく音も描いたに違いない。そう思えてなりませんでした。

 そしてもう一つ、「白い基地」にしろ「滑走路」にしろ、安谷屋の作品からは沖縄らしさが感じられないことに気付きました。後に画集で確認してみると、おそらく1955年ごろを境に、安谷屋の作品から「沖縄らしさ」が消えてゆくのが分かります。

 これはとてつもないことです。沖縄で表現された多くの芸術作品には、沖縄を想起させるものが含まれているものが圧倒的に多い。多くの芸術家が、沖縄という島に根ざし、共同体の中から自らを中心に物事を捉え表現を発していたのに対し、安谷屋はそことは距離を置き、全く別の場所で思考していたのですから。

 現代の沖縄でもこれは困難なことです。しかし、島の原風景を否定することなく乗り越えることが出来なければ、いつまでたっても「沖縄の」芸術と言われ続けることになるでしょう。「沖縄の」と頭に付く限り、芸術も思想も、はては主義主張でさえ、他の地域からは一線を画したものとして見られてしまいます。そしておそらく、乗り越えた思考だけが、島の外に伝わるのではないでしょうか。

2024年3月19日火曜日

不登校の諸問題(沖縄)

 不登校の諸問題について筆者が居住する沖縄県を中心に述べてみたい。というのも、沖縄は不登校の原因と課題を、学校、家庭のみならず社会全体に抱えていると思われるからである。

・沖縄の現状

 2022年10月、沖縄県内の複数のメディアが「小中学校の不登校過去最多4435人」1)と報じた。報道には2018年から21年度までの不登校者数、いじめ件数の推移が付されており、いずれも沖縄県は全国平均を上回っていた。また小学校の千人あたりの不登校者数は全国で最も多くなっている。

 2023年2月の琉球新報の記事によると、21年度の那覇市内の不登校者数は「小学校421人、中学561人」2)となっている。県全体4435人に対する割合は22%であり、これは沖縄県全体に対する那覇市の人口比率とほぼ同じであることから、不登校者数が中心都市に偏っていないことが判る。また同記事には『心理的、身体的、社会的要因などで30日以上欠席した児童生徒から、理由が「病気」「新型コロナウイルス感染回避」などを除いた』2)とあり、これは不登校について文部科学省による調査の定義と同じ内容であり正確な数値と言える。

・原因と課題

 不登校の原因は様々あるだろうが、先ず「家庭の状況」を挙げてみたい。平成27年度の県教育庁の調査によると、不登校の理由として小学校では「家庭に係る状況」が最も高い値となっているからである。家庭の状況と言っても様々であろうが、沖縄の県民所得は年241万円で全国最低水準にあり、子供の貧困率は29.9%と全国平均の2倍以上である。一人親世帯も多く、貧困が不登校の要因となっていることは容易に想像が出来る。

 これに関連して、2023年4月14日の琉球新報に『ヤングケアラーと思われる小中高生、7450人と推定 沖縄県が調査、2450人は学業・生活に影響、支援急務』3)が掲載された。衝撃的な数値であり、この人数はそのまま不登校の予備軍であるとも言える。子供の貧困同様、問題の根本的な解決に結びつく対策が急務である。

 では次に、いじめについて見てみる。文部科学省の通知によると、いじめによる小・中学校の不登校児童生徒数は「約24万5千人」5)である。いじめが不登校の要因となっていることは明らかであり、2019年度の沖縄のいじめ件数は、1,000人当たりの認知件数、全国平均46.5に対し沖縄は69.5とかなり高い値となっていた。いじめによる不登校者は相当数いるとみて間違いないだろう。

 いじめに対応するにせよ、予防するにせよ、そこに欠かせないのが教職員の存在である。ところが、沖縄の教職員の「精神疾患による病休者は21年度199人で、過去10年間で最多、在職者数に占める割合は全国で最も高い1.29%」4)であり、2022年12月の県議会では県内の教員96人不足していることが報告されている。同年9月26日の琉球新報には心療内科に通院しながら勤務する教員の「スクールカウンセラーは非常勤で、子どもの相談時間もあまり取れない。自分のことを相談できるわけがない」という声が紹介されている。スクールカウンセラーの勤務日数を増やすことは早急に検討されるべき事項であると考えられる。また23年度より、沖縄県は教職員の精神疾患の原因調査、相談体制の強化に乗り出した。いじめといじめによる不登校を無くすためにもその成果に期待したい。

・終わりに

 筆者は沖縄県の生活・就職支援事業に従事しているが、相談者の中には不登校からひきこもりとなり就労困難となっているケースもある。不登校自体は問題行動ではない。社会との接点がなくなることが問題なのである。将来ひきこもりとなることを防ぐためには、フリースクールの活用など、他の選択肢の充実とその周知が、今後益々必要となってくるであろう。

[引用文献]

1)沖縄タイムス 『小中学校の不登校 過去最多4435人 沖縄 前年度より772人増 増加した要因とは』 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1048013(2022年10月28日)記事及び表
2)琉球新報 『那覇市立の小中学校、不登校1000人超 2021年度上回る 病気など「長期欠席」386人』https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1664318.html (2023年2月17日)
3)琉球新報 『ヤングケアラーと思われる小中高生、7450人と推定 沖縄県が調査、2450人は学業・生活に影響、支援急務』https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1694473.html(2023年4月14日)
4)琉球新報 『沖縄の教員、精神疾患での休職が199人 過去10年で最多、割合は全国ワースト』 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1588702.html(2022年9月26日)
5)文部科学省 『令和3年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について(通知)』https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1422178_00003.htm(2022年10月27日)

[参考文献]

・一般社団法人日本ソーシャルワーク教育学校連盟(編)『現代の精神保健の課題と支援』中央法規出版 2021年

現代の精神保健の課題と支援
・沖縄県教育庁義務教育課(編)『不登校児童生徒への支援の手引き』沖縄県教育庁義務教育課 2020年3月
・内閣府:人材育成に係る沖縄振興審議会専門委員会合配布資料『小中高の現状、課題』沖縄県教育庁 2017年3月15日 https://www8.cao.go.jp/okinawa/siryou/singikai/senmoniinkaigou/1j/01j-041.pdf
・内閣府:沖縄の子供の貧困対策に向けた取組 資料『子供の貧困に関する指標(沖縄県の状況)』内閣府 https://www8.cao.go.jp/okinawa/3/kodomo-hinkon/shiryou/kodomo-genjou5.pdf
・文部科学省初等中等教育局児童生徒課発行『不登校への対応について』文部科学省初等中等教育局児童生徒課 https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/futoukou/main.htm 2003年6月
・琉球新報 『沖縄の教員、精神疾患での休職が199人 過去10年で最多、割合は全国ワースト』 https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1588702.html (2022年9月26日)

神経発達障害群の分類と特徴

 DSM-5では神経発達症群として、知的能力障害群、コミュニケーション症群、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、限局性学習症、運動症群が含まれている。以下それぞれ分類と特徴を述べる。

1、知的能力障害
 知的能力障害は、知的機能の発達が遅れ社会生活への適応が困難な状態のことで、その分類は障がいの程度によるものと原因によるものとがある。程度による分類は、知能指数(IQ)と行動の指標によりされる。主にIQ70未満の人を知的障害とされてきたが、DSM-5では症状を全般的に捉え4段階に分類しており知能指数による区分は採用されなくなった。
原因による分類には、
①ダウン症候群などの染色体異常
②フェニルケトン尿症等の先天性代謝異常
③クレチン病に代表される先天性内分泌異常
④神経性皮膚症候群である結節性硬化症
⑤周産期、⑥出生時、⑦出生後の異常が挙げられる。

2、コミュケーション症群
 言葉(言語)を使って他者とコミュニケーションをとることが困難となるもので、言語症、語音症、小児期発症流暢症(吃音)、社会的コミュニケーション障害がある。

3、自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害(ASD)
 DMS-4では広汎性発達障害として自閉性障害、アスペルガー障害、レット症候群、小児崩壊性障害等が挙げられていたが、5では広汎性発達障害が自閉症スペクトラム障害に変更され、レット症候群は遺伝子異常であることが判明したこと等を理由にこの分類から除かれた。なおICD-10には広汎性発達障害として小児自閉症、レット症候群、他の小児期崩壊性障害、アスペルガー症候群等が挙げられている。ASDは社会性やコミュニケーションの障害であり、特定のものに対する強い関心や興味、反復性の行動の障害を特徴とする。

4、注意欠如・多動症/注意欠如・多動性障害(ADHD)
 衝動性、多動、不注意を主な症状とする行動に関する障害である。ケアレスミスが多いなどの不注意、落ち着きのない状態が多い多動性、後先を考えず行動する衝動性などがみられ、その型は「不注意優勢型」、「多動性-衝動性優勢型」、両方の特性が混在した「混合型」の3つがある。ADHDの正確な原因は不明であり、診断基準はDMS-4とICD-10が主に用いられ、医学的検査によるものではなく臨床的な判断による。それが原因かは不明だが、私はADHDと診断されていた人が後に診断名が変更されたケースを職場で経験している。

5、限局性学習症/限局性学習障害(SLD)
 学習障害(LD)は全般的には知的発達の遅れがないが、読み、書き、計算など学習面の能力に障害やアンバランスさがみられる障害である。DMS-4ではLDを読み、書き、算数の3領域の単独の障害、或いは重複に限定していたが、DMS-5では発達段階を考慮し診断が出来るようになり診断名をSLDとした。

6、運動症群
 道具を使うことが苦手など不器用さを特徴とする発達性強調障害、目的がないように見える行動を繰り返す常動的運動障害、チック障害などがまとめられている。
 チック障害には肩や首を動かすといった反復的な運動をする運動性チックと、奇声や咳払いなどの音声チックとがある。その持続が1年未満のものを暫定的チック障害、1種類以上の運動チック、音声チックが1年以上続くものはトゥーレット障害と呼ばれる。トゥーレット障害は難治であり成人期まで続く。

おわりに
 パラ陸上において、知的障害はクラス20のみが存在するのだが、国内の規定では療育手帳を所持しているかIQ75以下であり、国際的にはIQのみで判断される。上述のASD等の併存は考慮されないことから、選手や関係者が不公平を感じる場面も多々ある。そうした中、DSM-5と同様にICD-11でも知的発達症の評価に行動指標が加味されたことに注目している。精神・発達障害者スポーツの普及、パラ陸上における新たなクラス創設に向けて大きな指針となることに期待したい。


[参考文献]
・一般社団法人日本ソーシャルワーク教育学校連盟編集『精神医学と精神医療』中央法規 2021年

・三村將編集『精神科レジデントマニュアル第2版』医学書院 2022年
精神科レジデントマニュアル第2版

・稲垣真澄、加賀佳美. "知的障害(精神遅滞)".
 e-ヘルスネット(厚生労働省)
  https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-04-004.html
・稲垣真澄、加賀佳美. "ASD(自閉スペクトラム症、アスペルガー症候群)について" 
 e-ヘルスネット(厚生労働省)
  https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-03-005.html 
・稲垣真澄、加賀佳美. "健康用語辞典「発達障害」"
 e-ヘルスネット(厚生労働省).
 https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/dictionary/heart/yk-049.html
・小川しおり、岡田俊.  "ICD 11 における神経発達症群の診断について" 
 精神神経学雑誌 第124巻第10号
 連載 ICD-11「精神,行動,神経発達の疾患」分類と病名の解説シリーズ
 公益社団法人日本精神神経学会.
 https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1240100732.pdf

スティーブ・ビコ|「文化」の定義

 大学2年生の頃だったでしょうか。「スティーブ・ビコのこと」という短文を書きました。確かゼミに入るために書いたものだと思います。当時は手書きだったのですが、卒業後WEB個人誌にアップロードする際に入力したテキストデータが残っていたので、そのまま転載します。

「スティーブ・ビコのこと」

 スティーブ・ビコは思うに、あらゆる差別問題に完全な解答を示して見せたたった一人の人物である。彼が南アフリカで行った「黒人意識運動」は、ガンジーの非暴力、キング牧師の温厚な考え方、マルコムXの大胆さ、すべてを兼ね備えたものであった。

 それは、まず、白人の教育を受けた黒人に植え付けられた劣等感を取り除くことからはじめ、その上で白人と対決し、黒人を白人と同じ人間であると認めさせる。さらにその上で、白人と黒人の共存が実現するというものである。単純なことのように思えるが、差別問題に取り組む場合、これまでのものは、劣等感を取り除くことから始められたことはない。結果的には差別者を敵とし闘うものばかりだ。ビコは、間違いなく、マルコムX、キング牧師、ガンジー等かつての指導者から学び、それら総てを取り入れた全く新しい運動を展開した。

 キング牧師の場合、劣等感を取り除くのではなく、白人を愛せと説いた。白人にも理解ある人はいることに目をつけたのだ。白人を憎んではいない我々を白人が憎む理由は無い、というものがキング牧師の考えであった。マルコムXは、白人と黒人では、全く異なるのだから共存ではなく、黒人の意識を、黒人が最初の人間であるというイスラムの教えに見出そうとした。これらを融合させたのがビコである。

 だが、ビコにも「対決」は避けることの出来ないものであった。黒人の意識を変えたうえで白人と対決する、と語る彼に裁判の席で、「あなたの言う対決とは暴力を生まないか?」という問いが発せられる。これに対しビコは「今、私はあなたとまさに対決している。ここに暴力はない」と返す。非暴力による言葉による「対決」の宣言である。それ程に、彼は、強力な武器である「言葉」と「哲学」を所有していた。当時の白人による南アフリカ政府が、ロベン島に監禁されていたネルソン・マンデラを生かし、同じく監禁されていたロバート・ソブクエより、真っ先にビコを殺害したのは、まさしく彼の力量を恐れたからに他ならない。

 最後に、ビコの文化への定義は次のようなものである。

文化とは、本質的に人生の様々な問題に対する社会の複合的な解答である

 人種差別に拘わらず、社会のあらゆる問題はこの「複合的な解答」を目指せば解決するはずだと私は考えている。これを目指さない社会、政府は病んでいるとも思う。またこの病は、嘗ての南アフリカのようにだってなりえるだろうし、第二次大戦中の日本のようにだってなりえるとさえ思う。たった一言なのだが、社会に対する考え方の根本を私はスティーブ・ビコから教わった。当時の私はまだ16歳であった。早くにビコに出会えたことは正しく幸運であったと言わねばならない。

【後記】

 なぜ、この文章を紹介したかというと、ビコが述べている文化の定義は、今も私の思考の根底にあるからです。目指すものは常に「複合的な解答」です。
 現在のネット社会では、特にSNSが発達してからは、民意の分裂や分断が顕著となり、対立することも少なくありません。互いを罵りあうような光景も目にします。そうした議論では、「複合的な解答」を得ることは出来ず、問題はさらに深刻化するだけではないでしょうか。今の世に必要なものこそ、ビコが提唱した文化の定義だと私は考えます。

 最後に、ビコの著書で翻訳されているものは私の知る限り「俺は書きたいことを書く」という1冊のみです。今日現在、まだネットでも購入できることを確認しています。興味のある方はぜひ。

俺は書きたいことを書く|著者スティーブ・ビコ